北条氏によって、小田原の防衛のための拠点として築城された山中城。
1558~1570年に北条氏康(うじやす)によって築城されました。未完のまま秀吉に攻められ、戦後は廃城。
三島市によって、整備改修がなされ畝や土塁が綺麗に遺されています。
氏康は北条家3代目。関東8ヶ国(相模・武蔵・上野・下野・安房・上総・下総・常陸)の戦乱を平定し、名君と呼ばれています。
氏康は武田信玄、上杉謙信とも戦い、氏康自身が出陣した戦では負けなしという武将でもありました。
↑畝掘(うねぼり)
芝のおかげで風化が防止されているそうです。三島市ありがとうございます(ʃƪ ˘ ³˘)ㄘゅ〜♡
季節によってはもっと茶色いみたいなので、緑の多い時に訪問することをお勧めします。
↑障子掘
畝の幅は約60cm、掘りの深さは2m。守りの強そうなお城ですが、秀吉軍(軍を率いていたのは秀次ですが…)はそれを見越した軍備、軍勢で攻めてきましたので、半日で落城。
秀吉軍7万、北条軍3000…。
秀吉軍も多くの犠牲がありましたが、えげつない…。
『見よ 東海の空あけて 旭日(きょくじつ)高く輝けば 天地の正気溌剌(はつらつ)と 希望は躍る大八洲(おおやしま) おお晴朗の朝雲に 聳(そび)ゆる富士の姿こそ 金甌無欠(きんおうむけつ)揺るぎなき わが日本の誇りなれ』森川幸雄作詞  
金甌無欠とは、外国の侵略を1度も受けていないことだそうです。東海地方の人だったのかな?景色とマッチした歌詞でしたので、引用。