東京は今日も曇天。東京駅前は秋っぽくなっています。
観光スポットと化した江戸城本丸の大嘗宮参観に行ってきました。
大嘗宮参観にも参賀並の警備なのか?
↓正月の一般参賀のときの警察車両。

天皇が天照大御神はじめ日本の神様たちに、その年の収穫を祝い感謝をするためにするお祭りの新嘗祭(にいなめさい)。
平日なので、待ち時間はほぼ無し。ただし滅茶苦茶歩かされます。↓一般参賀のときの人集り。

↑一般参賀のときは待ち時間4時間でした。
代替わりしたあと初めての新嘗祭が大嘗祭。大嘗祭を行わない天皇は半人前の『半帝』とも言われたそうです。
坂下門から登城します。富士見櫓を本丸外から見られます。(大嘗宮公開中は東御苑への門からは本丸へ登城できません)
↑富士見櫓と本丸正門の間に虎口。
通年の新嘗祭は江戸城西の丸(皇居 吹上地区)で行われます。
本丸正門に坂下門側から普段は入れないので嬉しい♡
↑本丸天守台前に建物が。
大嘗祭は第40代 天武天皇・41代 持統天皇(7世紀後半)のときに毎年行われる新嘗祭と区別されるようになったとされ、重要な即位儀礼として歴代の天皇に継承されてきたそうです。
↑大嘗宮の前は人集りです。
室町時代から戦乱や朝廷の困窮により、1466年103代 後土御門(ごつちみかど)天皇を最後に中断されました。
↑本丸広場は大嘗宮公開中は立ち入り禁止。
それを再興させたのが、5代将軍 綱吉。
↑桜の頃はこんな感じ。
3代将軍家光と側室 お玉との間に生まれた綱吉。4代将軍 家綱(綱吉の長兄)に継嗣がなく、35歳で宗家を相続し、5代将軍となりました。
↑大嘗宮は経費削減のため板葺き屋根。
『生類憐みの令』の犬将軍で有名な綱吉ですが、尊王の意識が高く、天皇陵の整備などに力を入れ、朝廷や公家の収入を大幅に増加させたそうです。
また、当時の幕府は国内の統治に儀礼を重視。そんな綱吉に112代霊元天皇は後継の東山天皇の即位に際して大嘗祭の復興を願い出ます。
1687年東山天皇の大嘗祭が認められ、221年ぶりの大嘗祭が行われました。その後は114代の桜町天皇から現代まで大嘗祭は続いています。
↑南神門と衛門幄(えもんあく)
明治時代に太陽暦が採用され、新嘗祭は毎年11月23日に行われるようになります。戦後GHQにより『勤労感謝の日』と改称されました。
昔は新嘗祭が行われてはじめて、新米を食べれるようになったそうですが、戦後にその風習も衰退したようです。
↑本丸に建物がある事が本当に感慨深いです♡
※大嘗祭については産経新聞の記事を参考にさせて頂きました。