100名城スタンプラリーのため、月曜でもやっている八王子城に行ってきました。
北条氏関連のお城では、『大河に北条5代を』の幟がハタハタしています。体力のあるうちに、先ずは本丸を目指します。
八王子城は小田原城を本拠地とした北条氏の支城です。城主は北条氏照(うじてる)。
氏照は北条氏康(北条氏3代)の3男。4代目氏政(うじまさ)の弟。氏政は家康さまの娘 督姫の婿。
家康と対峙した天正壬午の乱(1582)の頃から、氏照は八王子城の築城に取りかかりました。1590年の落城の際もまだ完成はしていなかったようです。↑山です。
往時はもっと道幅があったかもしれませんが、築城するのも、ここを登って攻めるのも辛すぎる。
1589年秀吉により小田原攻めが命じられると、関東に大名たちが結集します。
↑8合目の先に、絶景スポットが。
↑8合目の先に、絶景スポットが。
ここだけスッキリ木がなく手入れされてます。
↑曳橋(ひきはし):御主殿への木橋で、有事の時には橋を壊し敵の侵入を防いだとのこと。
城が攻められた時、この橋が壊されたのかは分かりませんが…。
↑更に進むと、八王子神社が。氏照が城の守護神とした八王子権現(牛頭[ごず]天王と眷属[けんぞく]神である8人)が祀られています。
小田原攻めのとき、八王子城主である氏照は小田原城で兄と籠城中。八王子には前田利家や上杉景勝が率いる連合軍が侵攻。氏照の家臣達が八王子城を守ります。
↑戦場となった本丸から、居館地区へ。↑曳橋(ひきはし):御主殿への木橋で、有事の時には橋を壊し敵の侵入を防いだとのこと。
城が攻められた時、この橋が壊されたのかは分かりませんが…。
↑礎石があり、櫓が建っていたのではといわれています。
↑御主殿門御主殿にいた北条方の婦女子や武将らは、落城の際、山に入り滝の上流で自刃し身を投げたそうです。
八王子城の落城が決め手となり、小田原城も開城。氏照・氏政兄弟は小田原城下で切腹となり、北条氏は滅びました。
北条氏を倒し、天下統一を果たした秀吉は家康さまを関東に移封。八王子城は家康さまにより管轄され、江戸幕府開府後は幕府の直轄領となり、明治以降は国有林として保全されたこともあり遺構が良好に保たれたといわれています。
↑氏照と家臣の墓。
八王子城の落城が決め手となり、小田原城も開城。氏照・氏政兄弟は小田原城下で切腹となり、北条氏は滅びました。
北条氏を倒し、天下統一を果たした秀吉は家康さまを関東に移封。八王子城は家康さまにより管轄され、江戸幕府開府後は幕府の直轄領となり、明治以降は国有林として保全されたこともあり遺構が良好に保たれたといわれています。
↑氏照と家臣の墓。