松山神社は松山城の北東、道後温泉近くにあります。松山城主加藤嘉明(よしあきら)が1618年に湯築八幡宮の境内に小祠を建て、徳川家康公の神霊を祭祀したのが松山東照宮の始まり。
湯築八幡宮は湯築城築城の際に、現在地(伊佐爾波神社)に遷宮されたとのこと。時代は鎌倉時代。
↑門戸は朝5時半頃に宮司さんが開けてくれました。伊佐爾波神社は日本に3つしかない八幡造り。1667年に3代藩主 松平定長(さだなが)によって造営されたもの。
菅原道真が筑紫に左遷されていく途中、難破して今治の漁師に助けられ、陸路で松山に。『祝谷山崎の丘に立ち寄りて温泉に浴した』という故事から里人が太宰府天満宮より祝谷 山崎の丘に神霊を勧請し「天満神社」として崇敬していたといわれています。
1868年 明治の神仏分離令で、東照宮は久松松平家の所有となりましたが、中期には村の鎮護のために譲渡されました。
地元の方は素朴で…と話されてましたが、趣があり私には一押しの東照宮です。
↑伊佐爾波神社に比べるとそんなに登るのは苦ではありません。両サイドには東照宮らしく灯籠たちには家康公400年祭記念と書かれています。
煌びやかな塗装のない、この権現造りは江戸末期の1865年に造営されました。松山市の文化財に指定されています。地元の方は素朴で…と話されてましたが、趣があり私には一押しの東照宮です。
ここから独り言。
武漢肺炎の拡大により国内での国越(県跨ぎ)が困難な状況ですが、韓国や中国からの観光客の渡航が許されるってどうなの?