松平氏発祥の地といわれる松平郷。
豊田市駅からバスで40分。だいぶ登ってきました。ちょっと今回も舐めてましたね…。
早い時間なので、まずは松平城趾から。
↓整備されていて登りやすいです。
↑入口には石碑。
家康から遡ること、8代。松平氏はこの地から周辺地域を手中にし、岡崎を始めとする西三河、三河一国と勢力を拡げていきます。

↑山頂の主郭からは豊田市街地が見下ろせます。
松平氏初代の親氏(ちかうじ)は、全国を行脚する時宗の僧で、徳阿弥(とくあみ)と名乗っていましたが、水姫と出会い、この地を開拓した在原氏に婿入りし、松平太郎左衛門親氏と改名します。
親氏は、この御城山に郷敷城を築きました。平時は松平郷で生活し、戦の際には城に。
松平氏7代 清康(家康の祖父)のとき、岡崎に居城を移しています。松平郷には、先代の兄弟が残っていました。
↑更に林道を登っていくと出会える景色。
在原氏の居邸のあった場所には、松平東照宮があります。元々は松平家の屋敷神として八幡様を祀っていたそうです。

1619年に松平太郎左衛門家(っていうそうです)9代当主が、久能山東照宮から家康の分霊を勧請し合祀、東照宮となります。社殿は昭和初期に建てられたものだそうです。
↑産湯の井戸は神門の先に。
↑右下に産湯の井戸。左にあるのが旧社殿。
ここから、家康のための産湯が早馬で岡崎城まで届けられました。
↓松平東照宮から、更に奥に進むと高月院があります。家光寄進の山門。
高月院は松平氏の菩提寺。建立は1367年。
↑本堂も家光寄進。家康により寺領100石を与えられ、江戸時代を通して将軍家から厚い保護を受けました。
松平郷は『松平郷園地』として整備されていますが、整備された村という感じです。
↑武家屋敷風の休憩所(お食事処)があったりします。
日曜なのに人もまばらで、ゆっくりじっくり廻れます。
↑初代親氏の像。親氏の指の先には7対の石柱が並びます。親氏と合わせて家康までの8代だと。
↑戦乱の時代に生きた親氏は、争いや貧困のない世を望み、人生訓として『願文』を定めます。家康もまた治世に際し「松平郷、三河を治めた頃のように」と語っていたそうです。