日帰り日光東照宮詣り。
東京駅から日光駅までバスで。悪天候で、予定では満席に近かったのに、行きも帰りもガラガラでした。
↑東京は暴風雨。日光ではポツポツ程度。晴れ間も見えます。
↑大猷院(たいゆういん)は家光の廟。さすが家光、他の将軍たちは寛永寺や増上寺に霊廟を立てましたが、日光です。自称二世大権現ꉂ(σ˃̶̀ꇴ˂̶́)σ✧
革命軍との戦いや太平洋戦争での空襲による被害の及ばなかった日光は宝塔のみだけでなく二天門から廟まで残ります。
↑灯篭が並びます。上まで登れなかった格下の大名たちから寄進された灯篭たち。
↑灯篭は上から見るとたくさん。奥に見える建物は仮拝殿となるのでしょうか?
↑二天門を潜ると鐘楼と夜叉門。
↑唐門と続きます。唐門前には家光の叔父たちの頼房、頼宣の名で贈られた灯篭が両脇に並びます。
↑権現造。透き塀もあり家光の造ってきた東照宮と同じように作られています。
↑皇嘉門。ここから先に、家光の廟が安置されています。非公開です。
↑御水舎。東照宮と同じく鍋島家からの寄進。

革命軍との戦いや太平洋戦争での空襲による被害の及ばなかった日光は宝塔のみだけでなく二天門から廟まで残ります。
↑灯篭が並びます。上まで登れなかった格下の大名たちから寄進された灯篭たち。
↑灯篭は上から見るとたくさん。奥に見える建物は仮拝殿となるのでしょうか?
↑二天門を潜ると鐘楼と夜叉門。
↑唐門と続きます。唐門前には家光の叔父たちの頼房、頼宣の名で贈られた灯篭が両脇に並びます。
↑権現造。透き塀もあり家光の造ってきた東照宮と同じように作られています。
↑皇嘉門。ここから先に、家光の廟が安置されています。非公開です。
↑御水舎。東照宮と同じく鍋島家からの寄進。
ここからは日光東照宮。
家光の頃は戦の心配もない時代となり、幕府の資金は潤沢でした。

↑五重塔
家康は大規模に祀れとは一言も言ってないんですが、1637年 家光は秀忠の造った東照宮の大修理を行います。それも世界遺産規模。
↑陽明門の前には鐘楼が。
明治維新後、東照宮の宮司には、徳川御三家出身の会津藩当主であった松平容保(かたもり)が就任します。上野東照宮の宮司と兼任したそうです。
江戸時代は下々の者は拝めなかったであろう門。
↑唐門。
↑奥の宮。
↑宝塔。この下に家康様が久能山から寄り道しながら移送され、安置されたとされています。
↑日光東照宮には御仮殿(本殿の修繕時などに神様を安置)が設営されています。
↑今は誰も安置されてないけど、ちゃんと家康の干支、寅さんも彫られています。
輪王寺には、天海の墓があるそうです。↑輪王寺はお直し中。
↑山麓には天海の像。
↑陽明門の前には鐘楼が。
明治維新後、東照宮の宮司には、徳川御三家出身の会津藩当主であった松平容保(かたもり)が就任します。上野東照宮の宮司と兼任したそうです。
↑陽明門。遠くからは黒っぽい感じですが…
↑↓平成の大修理でキラッキラ✨です。江戸時代は下々の者は拝めなかったであろう門。
↑唐門。
↑奥の宮。
↑宝塔。この下に家康様が久能山から寄り道しながら移送され、安置されたとされています。
↑日光東照宮には御仮殿(本殿の修繕時などに神様を安置)が設営されています。
↑今は誰も安置されてないけど、ちゃんと家康の干支、寅さんも彫られています。
輪王寺には、天海の墓があるそうです。↑輪王寺はお直し中。
↑山麓には天海の像。