今年のお花見*❀٭は乾通りも行きたいけれど人混みは…という気分だったので、小石川へいってみました。
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↑小石川後楽園。花見の時期はやっぱり人が多かったです。
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小石川後楽園は水戸藩の上屋敷だったところで、庭園だけ残っています。
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造設したのは初代水戸藩主の頼房。2代藩主の光圀によって完成された庭園は「天下の楽しみに後れて楽しむ」という中国の故事から、後楽園と名づけられました。
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↑青空に桜が綺麗です。
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人が多かったけど、それなり。何より宴会がないので静かに桜も庭も堪能できます。
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↑ただ、ドームやビル群が…。
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↑後楽園の外壁には江戸時代の石垣が残されていたりします。
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↑後楽園から、徒歩で小石川植物園へ向かう途中には、伝通院がありました。徳川の葵紋。伝通院は於大の方(家康の母)の法名『伝通院殿』から院号がつけられています。
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伝通院は1608年に建立された徳川家菩提寺。徳川家の女性や子供が多く埋葬されているそうです。於大の方や、3代将軍家光の正室:孝子のお墓があります。
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↑境内にも桜の木。
後の新撰組となる浪士組の結成の地でもあり、近藤勇・土方歳三・沖田総司など250人が集合した塔頭(たっちゅう)があった場所です。
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↑小石川植物園は徳川家・幕府の薬草園。
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1652年に館林藩下屋敷(白山御殿)が造設されました。←3代将軍家光の4男:徳松(後の5代将軍:綱吉)の居邸。
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↑お花見客はいっぱいいますが、飲酒禁止なのでそこそこ穏やかに楽しめます。
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↑薬草たち。
綱吉が5代将軍に就任すると、麻布にあった薬園が廃止され、白山御殿の1部が薬園になり、『小石川御薬園』と言われたそうです。
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↑韓国の国花ムクゲ。効能が腸炎とか。
文禄・慶長の役で現地の食べ物に中った武人はこれを煎じて飲めば助かったかも。とか思ったり…
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↑コブシ(別名:田打ち桜)。
8代将軍:吉宗の時に、御殿地全体に御薬園は拡大されて、今の植物園の形となったそうです。
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↑日本庭園。
後楽園とは違って、ちょっと高台にあり、周りが住宅地でもあるので静かです。
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綱吉は『生類憐れみの令』の犬将軍だけど、儒学を始め色々な分野の学問を奨励する政策を立て、庶民の文化も成熟しました(元禄文化)。
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実子の早世で世継ぎに悩む綱吉は、母と真言密教にハマり、祈祷しまくり、生類を憐れむと良いと言われて、中野、四ッ谷、大久保に最大10万頭の野犬を保護できたお犬様の犬小屋を作ったりしますが、結局子宝には恵まれず。
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5代将軍には異母兄:綱重の嫡男であった家宣が就任しました。
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↑読めなかったけど「ひかわ」神社。白山御殿ができるにあたり、今の地に遷座されたそうです。