和歌山に着いてすぐ荷物を預けて、バスで和歌浦天満宮へ。雨ですが小降り。
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大宰府、北野と共に三大天満宮ともいわれる和歌浦天満宮。
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↑楼門に続く石段は、紀州青石。
急な石段はいくつも登ってきましたが、落ちるんじゃないかと本気で怖くなるくらいの石段です。
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↑1606年に再建された社殿。
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↑楼門内側。和歌浦湾が見えます。楼門は1605年に再建されています。
この和歌浦の地には、菅原道真が大宰府へ旅立つ時に立ち寄り、歌を残しているそうです。
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↑楼門と拝殿。
和歌浦天満宮は東照宮の創建が決まっても、この地の地主神と定められ崇敬されました。
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天満宮の後は、紀州東照宮。
1621年家康の10男、頼宣(よりのぶ)によって天満宮境内の一部に東照宮は創建されました。
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↑燈籠に『伊達』の文字が。伊達覚弥。
紀州にも伊達家がありました。奥州伊達家の祖、伊達朝宗の2男を祖とする駿河伊達家からの支流だそうです。
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東照宮の石段は経年で歪んでいますが、∑(°口°๑)両端に手摺があるので怖くない…。
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和歌山城へは、大手口から登城します。↑お濠。
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大手口門(一の橋門)と一の橋。こちらが大手口となったのは徳川の時代になってから。
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門を入ると枝垂れ桜が満開です。
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虎伏像。この地は虎伏山といわれていました。
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↑一の橋門が大手門となる前は、こちらの岡口門が大手門として利用されていたそうです。空襲で被災しなかった江戸初期の遺構です。
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手前の野良積みの石垣は豊臣時代。奥の石段は徳川時代の石垣。
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↑和歌山城は青石が沢山使われています。
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和歌山城連立天守閣は国宝に指定されていましたが、10年後の1945年に、和歌山大空襲で被災し焼失。国宝指定もなくなります。
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↑城の鬼門に桃瓦。左側にもあります。
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60年前の1958年に外観はそのままに復元されています。復元費は1億2千万。↑桜は蕾がチラホラ。
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↑当主着用の陣羽織。皮製で、葵の紋の刺繍。
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天守閣にも桃瓦があります。↑中央に桃瓦。
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桃瓦と枡形櫓。
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中央石段の先が和歌山城本丸跡地。
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↑追廻門。こちらも空襲で被害を逃れた現存する遺構です。
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↑西の丸。西の丸庭園は頼宣が西の丸御殿に造ったお庭で、江戸初期の遺構です。
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↑西の丸のお庭から天守。
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↑二の丸から。御橋廊下と連立天守。
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↑お濠の外から。もう本当に感謝しかありません。復元ありがとうございます⸜(* ॑ ॑* )⸝