和歌山に着いてすぐ荷物を預けて、バスで和歌浦天満宮へ。雨ですが小降り。
大宰府、北野と共に三大天満宮ともいわれる和歌浦天満宮。↑楼門に続く石段は、紀州青石。
紀州にも伊達家がありました。奥州伊達家の祖、伊達朝宗の2男を祖とする駿河伊達家からの支流だそうです。
東照宮の石段は経年で歪んでいますが、∑(°口°๑)両端に手摺があるので怖くない…。
和歌山城へは、大手口から登城します。↑お濠。
大手口門(一の橋門)と一の橋。こちらが大手口となったのは徳川の時代になってから。
門を入ると枝垂れ桜が満開です。
虎伏像。この地は虎伏山といわれていました。
↑和歌山城は青石が沢山使われています。
和歌山城連立天守閣は国宝に指定されていましたが、10年後の1945年に、和歌山大空襲で被災し焼失。国宝指定もなくなります。
↑城の鬼門に桃瓦。左側にもあります。
60年前の1958年に外観はそのままに復元されています。復元費は1億2千万。↑桜は蕾がチラホラ。
↑当主着用の陣羽織。皮製で、葵の紋の刺繍。
天守閣にも桃瓦があります。↑中央に桃瓦。
桃瓦と枡形櫓。
中央石段の先が和歌山城本丸跡地。
↑追廻門。こちらも空襲で被害を逃れた現存する遺構です。
↑西の丸。西の丸庭園は頼宣が西の丸御殿に造ったお庭で、江戸初期の遺構です。
↑西の丸のお庭から天守。

↑お濠の外から。もう本当に感謝しかありません。復元ありがとうございます⸜(* ॑ ॑* )⸝
東照宮の石段は経年で歪んでいますが、∑(°口°๑)両端に手摺があるので怖くない…。
和歌山城へは、大手口から登城します。↑お濠。
大手口門(一の橋門)と一の橋。こちらが大手口となったのは徳川の時代になってから。
門を入ると枝垂れ桜が満開です。
虎伏像。この地は虎伏山といわれていました。
↑一の橋門が大手門となる前は、こちらの岡口門が大手門として利用されていたそうです。空襲で被災しなかった江戸初期の遺構です。
手前の野良積みの石垣は豊臣時代。奥の石段は徳川時代の石垣。↑和歌山城は青石が沢山使われています。
和歌山城連立天守閣は国宝に指定されていましたが、10年後の1945年に、和歌山大空襲で被災し焼失。国宝指定もなくなります。
↑城の鬼門に桃瓦。左側にもあります。
60年前の1958年に外観はそのままに復元されています。復元費は1億2千万。↑桜は蕾がチラホラ。
↑当主着用の陣羽織。皮製で、葵の紋の刺繍。
天守閣にも桃瓦があります。↑中央に桃瓦。
桃瓦と枡形櫓。
中央石段の先が和歌山城本丸跡地。
↑追廻門。こちらも空襲で被害を逃れた現存する遺構です。
↑西の丸。西の丸庭園は頼宣が西の丸御殿に造ったお庭で、江戸初期の遺構です。
↑西の丸のお庭から天守。
↑二の丸から。御橋廊下と連立天守。

↑お濠の外から。もう本当に感謝しかありません。復元ありがとうございます⸜(* ॑ ॑* )⸝