東京駅から水戸までバスで向かいます。
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東京駅から水戸駅までは2時間くらいで着きました。水戸駅から、徒歩で水戸藩の藩校であった弘道館へ。↓大手橋の向こう側は水戸城二の丸と本丸跡地。
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水戸城は水戸藩のお城ですが、江戸時代の水戸藩は江戸(江戸屋敷)に常駐していたため、藩主の居城でなく、政務の場としての役割が大きかったそうです。
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↑弘道館は水戸城三の丸に水戸藩9代藩主 徳川斉昭(なりあき)によって、1841年に創設されました。
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藩士やその子弟の学問と武芸の学びの場として、創設された江戸時代の総合大学とも言われています。15歳から入学し、卒業はなし。人生死ぬまで学びだとの考えからだそうです。
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↑左の広場が武芸の試験会場の対試場。
もともとは足利氏に服属し、江戸郷(現 水戸市)を与えられた常盤江戸氏の居館跡に建てられた水戸城。秀吉の頃に佐竹氏によって普請されます。
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↑左奥から雪隠大、小、手洗い場。右は浴室。中央に傾いていて、排水路があります。
 文禄の役後の佐竹氏領は54.6万石。しかし、関ヶ原には参戦せず、家康に敵対しないと表明しながらも、水面下で三成や上杉景勝と密約を交わしていたことが発覚し佐竹氏は出羽国(秋田県)へ転封となります。
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↑藩主のお部屋(至善堂)。15代将軍 慶喜は幼い頃ここで学び、大政奉還後は恭順謹慎生活を送ったと言われています。
慶喜の長持(謹慎の際に持参したもの)。
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関東転封となった家康は、東北諸大名の押さえとしての水戸領を重要視したと言われます。
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↑偕楽園。斉昭が弘道館と一緒に創建した心身を癒すための施設。
5男の信吉:のぶよし→10男の頼宣:よりのぶ→11男の頼房:よりふさへと城主を務めさせます。
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水戸藩初代藩主の頼房が城主となったのは7歳の時。家康のもと駿府城で養育されていました。
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なので、藩政は家老達のお仕事。頼房が水戸に入ったのは17歳になってから。江戸定府であった水戸藩は時々帰国の必要がある時に、将軍に許しを得て帰る程度だったようです。
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↑↓偕楽園にある好文亭。斉昭の別邸でもあり、藩内の人々と楽しむ場でもありました。
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総板張りの広間では、家臣や庶民を招いて養老会や詩歌の宴が行われたそうです。
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↑好文亭の雪隠。
斉昭の行きすぎた倹約のため、藩士やそのご婦人たちの息抜きの場ともなった好文亭。
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↑3階は楽寿楼。好文亭もまた、1945年に関東空襲で全焼し、1955年に復元されています。
15代将軍 慶喜(よしのぶ)は斉昭の7男で一橋家の養子となっていました。14代将軍継嗣の際、慶喜を推す一橋派と紀伊藩主慶福(よしとみ:後の14代将軍 家茂 いえもち)を推す南紀派との対立が表面化。1858年南紀派の井伊直弼(なおすけ)が大老に就任すると、慶福を将軍とする断行にでます。
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井伊直弼は不平等条約といわれる日米修好通商条約を勝手に集結してしまったと伝えられたこともあり、攘夷派(開国反対派)の水戸藩などは幕府に反発。水戸藩は『安政の大獄』といわれる弾圧や処分を受け、斉昭は水戸城に永蟄居(終身刑)となります。その後、井伊直弼は脱藩した水戸藩士らから襲撃、暗殺(桜田門外の変)されています。
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↑杉の森。↓梅林。梅の木は3000本。
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↓水戸東照宮。
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水戸東照宮は、1621年に初代藩主 頼房が霊松山に家康を祀るために創建。1624年には2代将軍 秀忠の霊屋も建てられ、歴代将軍の霊も祀られたそうです。
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社殿はやはり戦火によって消失。1962年に再建。
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創建当初はもちろん神仏混合でしたが、斉昭の寺院整理で、神式にされたようで、斉昭が藩主を降ろされた原因にもなったようです。
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水野忠邦と仲の良かった斉昭は天保の改革を参考にし、倹約とか色々な改革を進めた藩主であったそうです。
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↑虎さんと三つ葉葵の門扉。上に紅白梅。
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↑境内には2代藩主 光圀によって鋳られた鐘がありました。
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↑帰ってきたら、東京駅はライトアップされてました。