近江国 彦根城は井伊家のお城。
徳川四天王の1人 井伊直政(なおまさ)は関ヶ原後に 近江国佐和山に18万石で入封します。
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↑佐和口多聞櫓。
佐和山城は秀吉の頃は三成が居城とし、改築。直政は佐和山城ではない、新しいお城の普請を構想していました。しかし、1602年に直政は関ヶ原で受けた銃創が原因で破傷風で42歳で死去。遺志を継いだ直継らによって彦根山に彦根城が築城されます。
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彦根城築城は、7ヶ国12大名を動員した天下普請となりました。戦国のとき、近江国佐和山は戦の多い地域で、戦略拠点としてお城も多く築城されています。
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京の護り、そして豊臣方の抑えとして彦根城築城は進められます。佐和山城や長浜城からその遺構が再利用されています。佐和山藩は彦根城ができると、廃藩となり彦根藩へと変わります。
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直政は15歳の時に、家康の小姓として取り立てられます。『容顔美麗にして、心優にやさしければ、家康卿親しく寵愛し給い』と家康の自邸の近くに直政の居宅を作らせ家康が通っていたことが幕府の公式記録に残っているそうです。
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↑掛橋と天秤櫓。
天秤櫓の石垣は登り石垣という倭城の技法が残される数少ない石垣です。
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↑天秤櫓正面。
直政は22歳で元服。当初は外様扱いだったにも関わらず、その戦功や交渉力を買われ、家康の天下取りの功臣として、江戸時代には譜代大名の筆頭となり幕府を支えます。
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秀吉在命の時には、秀吉からも武勇や政治的手腕を高く評価され、徳川家中では唯一聚楽第行幸の際に昇殿を許されています。
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↑太鼓櫓門。天守閣入場待ちの列が…。
関ヶ原では、東軍の指揮を執り、同時に全国の諸大名を東軍に取り込む交渉も行ないました。関ヶ原後は、その戦後処理と幕府の基礎を整えることに尽力したそうです。
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直政の後を継いだ直継(なおつぐ)は病弱であったため、弟の直孝(なおたか)が家康の命により大坂の陣に出陣。
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家督も直孝が引き継ぎます。直孝は正室の侍女の子。2代将軍 秀忠より家光の後見役を命じられ、家光からの信頼も厚く30万石という、譜代一の領地を与えられました。
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安政の大獄、桜田門外の変での井伊直弼(なおすけ)は、彦根藩15代藩主。
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↑↓台風により、剥がれ落ちた漆喰壁。
井伊直弼は14男で、庶子であったことから自らの境遇を花の咲かない木に例え、埋木舎(うもれぎや)と名付けた邸宅で自分磨きに励みます。茶や和歌、能や太鼓に槍に禅。付いたあだ名が『チャカポン(茶・歌・太鼓)』。
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しかし、不遇の生活15年。直弼32歳のとき、藩主であった兄(直亮 なおあき)の子供が亡くなったことで、兄の養子になり彦根藩の後継者となりました。
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後継者となった直弼は、国学を学び、36歳で彦根藩主となりました。藩主となった直弼は藩政の改革を行い、直亮の残した財を領民や藩士へ分け与え、自ら領民の声を聴き、貧しさや病気に苦しむ領民に手を差し伸べます。
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藩政も順調に治め、名君ともいわれ、領民に慕われていた直弼ですが、13代将軍 家定の頃、将軍継嗣問題が勃発。将軍には血筋!と紀伊藩主を推した直弼を始めとする、幕政を担っていた譜代大名の多い南紀派と年齢や能力が高い慶喜を推す、長年幕政に参加させてもらえなかった親藩、外様大名の多い、一橋派との対立が表面化します。
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幕政にも加わり、ペリー、ハリスの来航時に国力の違いに戦いでは勝てないと判断した直弼は、開国し、交渉しようと考えます。直弼自身は条約の締結には反対していて、最後まで勅許(天皇の許可)を得てからと話していたようです。
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なんだけど、尊王攘夷を掲げる水戸藩に当時の天皇が密勅にて幕政介入しようとしたりして、安政の大獄を引き起こすこととなり、恨みを買った直弼は暗殺されるという事態になります。
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地元彦根では、鎖国していた日本を開国に導き、戦争を回避し植民地化させなかった偉人として大事にされていました。