芝増上寺。山門(1622年建立 重文)は現在は修繕中なので、一階部分は覆われています。プリンスホテルと芝公園の一帯が江戸時代の増上寺境内でした。
↑写真は去年撮影のもの。
増上寺は1590年に徳川家の菩提寺となり、江戸城拡張の際、裏鬼門の抑えのため、1598年に芝に移転となりました。↑『三解脱門』この門をくぐると『貪り、怒り、愚かさ』3つの煩悩から解脱されるといわれています。
↑今の増上寺。↑桜の頃の増上寺と東京タワー🗼
↑家康の法名『安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士』からつけられた安国殿。
↑関ヶ原や大坂の陣に挑む際に、家康も武運を祈ったといわれる黒本尊。↑安国殿脇から奥に進むと徳川家墓所があります。火曜日はお休みですが、一般公開されています。
↑2代将軍秀忠と江姫(信長の妹、市の娘)の墓石です。歴代将軍の霊廟があり、日光に並ぶともいわれた増上寺ですが、東京大空襲で被災。
広くはない境内ですが、緑に囲まれています。
御神体は木像の家康の坐像で『寿像』といわれています。家康還暦の際に彫らせたもので、駿府城で祭祀されていたもの。
家康の亡くなった後は、遺言により増上寺安国殿に祭祀されていましたが、神仏分離令により、増上寺から切り離され、芝東照宮へと移管します。
↑家光が植えたとされるイチョウの木。御神木。
増上寺の御成門。将軍家が増上寺に詣るときに利用した裏門です。江戸城の虎ノ門に近かったといわれています。
↑2代将軍秀忠と江姫(信長の妹、市の娘)の墓石です。歴代将軍の霊廟があり、日光に並ぶともいわれた増上寺ですが、東京大空襲で被災。
↑桜の頃。
↑増上寺から芝公園を抜けると芝東照宮があります。広くはない境内ですが、緑に囲まれています。
御神体は木像の家康の坐像で『寿像』といわれています。家康還暦の際に彫らせたもので、駿府城で祭祀されていたもの。
家康の亡くなった後は、遺言により増上寺安国殿に祭祀されていましたが、神仏分離令により、増上寺から切り離され、芝東照宮へと移管します。
↑家光が植えたとされるイチョウの木。御神木。
増上寺の御成門。将軍家が増上寺に詣るときに利用した裏門です。江戸城の虎ノ門に近かったといわれています。