戦国時代の四国は群雄割拠のとき。
{E68371C7-83A5-4CA0-8CE5-E19D4B15845C}
↑徳島城鷲の門。
1582年に土佐国の長宗我部元親が侵攻。讃岐、阿波、伊予を平定、四国を支配します。
{53F50850-8961-4648-B7B6-AEB3E50DC262}
↑鷲の門には、鷲。
信長に睨まれ、織田軍による四国への侵攻の危機を生じますが、本能寺の変により、回避。
{E14112B1-483B-4047-A3E0-7F537A521738}
↑下乗橋(登城の際に馬を降りて渡るため、この名がついたとのこと)
しかし、秀吉の四国征伐により、長曾我部元親は土佐一国に減知されます。
{7170B647-B4B0-45D2-9F1B-A58FE6E76DFD}
↑御殿跡には博物館があります。
四国征伐の武功により、蜂須賀小六正勝が阿波一国を勧められますが、小六は高齢だし秀吉の近くにいたいと希望。
{5B7620A3-6870-4964-BD4C-8C10E5ACE532}
↑隣接して、表御殿庭園。 
そのため、同じく武功を挙げた小六の息子、家政に1585年に阿波一国18万石が与えられました。
{203D01DA-16D7-47F7-9C50-5BDB6B80E80A}
↑↓枯山水庭園。
家政は入封後すぐに、この地に平山城を築城し始め、翌年の1586年には完成させ、地名を渭津(いのつ)から徳島としました。
{AD9FB162-1FFF-44A4-B485-C5EC59F8AAD3}
↑表御殿庭園は藩主の部屋と書院に面していたとのこと。石垣にも使われている青石が庭園にも多く置かれています。
{F764CF3C-F168-4714-B7DE-3CE4C382B584}
↑池。
山城には本丸と東二の丸。平城には藩主の生活する御殿(表と奥)と西二の丸と三の丸が造られました。
{302A75DF-9EEF-413C-AF4E-E0D5F0A93926}
↑樹齢600年の城山最大のクスノキで台風により倒木。近くに竜王神社があったことから竜王のクスと呼ばれているそうです。
秀吉、前田利家が亡くなると、石田三成と対立した蜂須賀家政。
{CA2E05EB-A789-44AB-85B8-5AFBBF55320A}
↑石垣。阿波の青石。
関ヶ原の戦いでは、東軍にも西軍にも味方せず、阿波一国を豊臣家に返上して、西軍に城を明け渡し、自身は剃髪し出家します。
{F758AD7A-263F-442D-8134-4B4DAADDA7AB}
↑西の三の丸からの眺め。
ただし、息子の至鎮(よししげ)を家康側へ参陣させています。
{217D58E7-5522-405D-A0A6-244D1A2E3A8D}
↑登って。
至鎮は秀吉が亡くなった後、1600年に家康の養女(小笠原秀政の娘)を嫁に迎えてました(至鎮15歳)。
{DBEE36EE-2367-4E3D-877C-2C1B2974C4A2}
↑櫓跡
そのこともあって大阪の陣では、徳川方として参戦し、武功を立て豊臣家へ返上していた阿波の国を安堵されました。
{5A958872-2534-464F-BC51-56477E28C730}
↑西の二の丸。
大阪の陣の後には、淡路国も増領され25万石へ。家督は至鎮に譲られ、家政は隠居。
{120C60BF-8F4C-464D-8F69-3CD42BC12E1B}
↑本丸跡。
徳島城は明治の廃城令により、建物は全て撤去。
{BC63EB7B-16D3-4FEF-A170-8171CCFB8E89}
↑本丸からは、眉山が臨めます。
残されたのは鷲の門のみであったそうですが、鷲の門も、1945年の徳島空襲により消失。平成元年に復元されました。
{F336E002-D811-4FE7-ADD5-C3CE670768B0}
↑石垣。
徳島城に残る遺構は、石垣、庭園、濠。
{7564485C-592C-4FBF-9C73-319364A5D788}
↑もともとは本丸に天守があったようですが、破却された後(詳細不明)に天守の代わりの御三階櫓のあった東二の丸。
{51CE3A37-DFD3-4F53-B996-FC5CFA4C4F91}
至鎮は藍の生産、塩田の開発に力を入れ、吉野川の治水事業の指揮も執り、家臣にも慕われた名君であったようです。
{D0B4B388-3C86-40EF-AC28-753377C58B11}
↑右に数寄屋橋。城の凶事にのみ使用された城の鬼門に位置する橋。
{3FFCBE1F-6852-4F79-AE04-D5E01045E656}
↑石垣と濠。
至鎮は1620年、35歳の若さで逝去。家督は至鎮の子、忠英が継ぎますが、幼少のため幕府からの命で隠居していた家政が後見を務めます。
{2DEAB5D0-204B-4C82-A89B-9B2563CE5F6F}
家政も家光の御伽衆の1人で、江戸城に登城し武勇伝など語ったはず。
{C308FF85-40A8-4F39-AF09-D7D7A62CC0C6}
↑バラ園のバラ。
{6F826807-A917-4EAE-AE91-1688FE421B25}
家政はこの時代では長生きで、81歳で亡くなりました。
{A6EDCC00-F4A1-4EE8-BE50-0B102CF0616D}
↑バラ園。