別府でホテルを早々にチェックアウトして、バスで杵築(きつき)へ向かいます。
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↑杵築城は1394年に木付氏によって築城。木付氏は鎌倉時代から戦国時代に豊後を本拠地とし北九州を支配していた守護大名、大友氏の一族です。

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大友氏は大大名でしたが、1550年大友宗麟が家督を継いで徐々に傾きます。有能な家臣団に恵まれたことや、貿易による巨大な富はありましたので、すぐではなかったですが・・・。

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1578年の島津氏との戦いに大敗した大友氏は、家臣の離反や領民の反乱、他家からの侵攻により国力を失っていきます。そうした中、力をつけてきていた秀吉の傘下に降ります。

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杵築城は海と川に囲まれた天然の要害で、1587年の島津義弘による猛攻にも籠城戦で持ち堪え、落城しませんでした。九州征伐に出た秀吉の援軍により窮地を脱し、木付鎮直は撤退する島津軍を追撃し、大打撃を与えたそうです。

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1593年 大友氏に従い、文禄の役に出陣していた17代木付統直ですが、鳳山城を捨て逃亡した大友氏が改易処分されたため、帰国の途上で自刃入水。杵築城に残っていた父、16代木付鎮直も自刃し、木付氏は断絶します。

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その後、杵築城には豊臣家5奉行の前田玄以が入城しますが、ころころ城主は変わります。1599年から細川忠興が所領としていましたが、1632年の肥後熊本への転封により、小笠原氏、能見松平氏へと移ります。

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↑天守からの眺め。

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↑城内には市内で祀る人のいない石造物が保護管理されています。年代も表記されています。

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杵築は城下町が保存されています。壁が崩れ落ちそうな所もありましたが、見ごたえあります。

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↑↓藩校。

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↓武家屋敷

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茶屋も併設されていますが、茶屋を利用しなくても、中に入れます。

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↑屋敷内。

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↑↓雪隠。

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↓お庭。

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↓江戸時代の街並みがそのまま残るという杵築の城下町。手前が酢屋の坂、奥が志保屋の坂。

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サンドイッチ型城下町と言われ、坂の下に商人たちの町、坂の上に武家屋敷が。

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杵築城から歩いて行けます。↑酢屋の坂。

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途中、井戸もあります。

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↑番所の坂。

外国人の観光客が団体様でいらしてました。城ではお会いしませんでしたが…。