仙台城の候補地でもあった、榴ヶ岡(つつじがおか)。この地が第1候補であったともいわれています。
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実際に行ってみると、ちょっと小高いくらいの地形。家康は山城を建てさせ、伊達藩の財政を崩したかったのか…、望み通りにさせとくかとでも思ったか…。
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↑↓榴ヶ岡公園
仙台城築城時は、全国的に平城で天守閣のある城が主流となっていた頃。政宗もそんなお城を描いていたかもしれません。
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仙台城築城時の政宗は35才。家康は59才。政宗は家康からの青葉山への築城の許可を得て、「なめんなよ‼︎家康」と堅固な城の普請をします。(←妄想)
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今の榴ヶ岡には榴岡八幡宮が↑↓
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榴岡八幡宮は1551年に仙台東照宮の場所に3度目の遷座をしていましたが、東照宮建立のために再度遷座。
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↑樹齢310年のしだれ桜。
今年が遷座350年の記念の年。1876年には明治天皇が御参拝もしているそうです。
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青葉城造営の際に、八幡宮の樹木を用材としたとのことで、政宗が1611年に社殿を造営しましたが、1667年の榴ヶ岡への遷座の際、3代藩主綱宗が新たに社殿、唐門を造営したとのこと。
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青葉山に戦いのための城を築いた政宗ですが、晩年には、自分の亡き後は平安の時代に見合う城にしろと言っていたようです。
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↑↓今年は政宗様生誕450年のお祝いの年。
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↓今は経ヶ峰に眠る政宗様。
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家康が亡くなった時、政宗は49才。
伊達藩には、真田幸村の遺子が2人(1人は次男)匿われていました。
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↑↓経ヶ峰には、色づく前の紫陽花。
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真田幸村の遺子を匿い、咎められていたならば、戦となり、政宗は天下取りを諦めなかったかもしれません。
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家康が亡くなる前年に、景綱が亡くなったのも時代の変化を受け入れる契機になったのかも…。
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晩年はとにかくやんちゃな政宗様だけど…。