戦国時代、掛川は東西の交通の要衝として武田氏、今川氏、徳川とこの地を手に入れようとする争いが絶えない地でした。
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↑掛川城大門。山内一豊が建立。すぐ後ろに大門番所が復元されています。
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室町時代に駿河の守護大名だった今川氏が、遠江支配のために掛川古城跡に掛川城を造らせます。浜松同様、勢力拡大で手狭になり、1512年頃に現在の位置に移ります。
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築城したのは、今川氏重臣の朝比奈泰煕(やすひろ)。
1560年桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると、1568年に武田氏が駿河を侵攻。義元の息子、氏真は掛川城に逃げ込みます。
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その翌年の1569年に家康は掛川城に侵攻し、長い戦いの末に開城させ、掛川城を手にしました。
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徳川領となった後は、徳川家家臣の石川家成が入城。武田氏の侵攻を防ぐ拠点とします。
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1590年に秀吉が全国平定を成し遂げると、大大名である徳川を牽制するため、家康は関東へ移封されます。掛川城には、秀吉の家臣の山内一豊が入城します。山内一豊により、天守閣が築かれました。往時の掛川城は東海の名城と言われ、聚楽第や大阪城天守閣に倣って作られたとも言われます。
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↑掛川城御殿は、江戸後期に建てられた全国に4つしか残っていない城郭御殿です。
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↑↓御殿の中。1854年に起きた安政の東海大地震(マグニチュード8とも…)で崩壊し、現在の御殿は1855〜1861年にかけて再建されたそうです。
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↓掛川古城跡には、
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家光の霊廟があります。↓
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徳川家の霊廟らしい建物です。
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建立したのは徳川家ではなく、掛川藩主だった北条氏重。嫡子がなく、お家存続を祈願しての建立だったようですが、結局子供には恵まれずお家断絶となったそうです。