家康の故郷、岡崎。
岡崎城天守に隣接して、岡崎東照宮の龍城神社があります。
東照宮とは大きく出ていないし、他の東照宮とは造りも違います。岡崎城から今日は、北に。
民家の入り口に↑
松平家菩提寺の大樹寺への途中に、徳川家祈願所の伊賀八幡宮がありました。
↑家光が建立させたといわれる、重文。
岡崎城と大樹寺の丁度真ん中辺りに位置しています。
↑現徳川家当主の御手による『さざれ石』
↑松平・徳川家菩提寺の大樹寺。山門は家光が造立したといわれ、重文。
桶狭間の戦い(1560年)では、今川氏に付いていた松平元康19才。
今川氏が信長に敗れ、名古屋から岡崎まで逃げてきた家康は、松平家のご先祖さまの墓前で自害しようとしたと伝えられています。
『厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)』戦国の世を離れ、平和な世を作りなさいと登誉上人に諭されたとのこと。
『厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)』戦国の世を離れ、平和な世を作りなさいと登誉上人に諭されたとのこと。
↑大樹寺山門前の大樹寺小学校の門の先に、岡崎城天守が見えるビスタライン。
大樹寺は松平4代目の親忠により、1475年に創建されました。『大樹』とは征夷大将軍のことであり、松平家から将軍が誕生することを祈願したとされています。
↑多宝塔は7代目清康(家康ジジ)によって建立された重文。
↑歴代の松平家当主のお墓たち。
↑1番左に家康の墓も現代になって造られています。大樹寺には、臨終時の身長と同じ高さの歴代将軍の位牌が安置されているそうです。
↑多宝塔は7代目清康(家康ジジ)によって建立された重文。
↑歴代の松平家当主のお墓たち。
↑1番左に家康の墓も現代になって造られています。大樹寺には、臨終時の身長と同じ高さの歴代将軍の位牌が安置されているそうです。