遠州統治を目指した家康は拠点を岡崎城から浜松城へ移します。浜松城に入城したのは1570年、家康29才のとき。駿府には武田信玄が侵攻してきていました。
家康の後、浜松城の城主になった人たちが幕府の重要ポストに就いたことから、出世城とも言われます。家康も将軍になりましたし。
信頼できる人しかこの地を任せられない、家康にとってとても重要な地だったということ。
↑↓浜松城内には、庭園もあります。
信頼できる人しかこの地を任せられない、家康にとってとても重要な地だったということ。
↑↓浜松城内には、庭園もあります。
↓前回訪問した時は、雨
でしたが、今回は晴れたので色々ウロウロしました。
家康は29才から45才までの17年をここ浜松城で過ごしたといわれています。姉川、長篠、小牧・長久手の戦い、三方ヶ原の戦いはこの期間に行われています。
三方ヶ原の戦い(1572年)で大敗した家康は、家臣の振りをして城に逃げ帰ってきたそうです。
桜が咲く前↑↓で、なんか雨で暗いし寂しい感じでしたが。
↓寂しげな家康さまも、
↓晴れてると元気に見えます。
三方ヶ原の合戦から帰ってきた家康が鎧を脱いで松の木に掛けたという松↓↓浜松城はもともと、曳馬城といって、今川氏側のお城で、勢力拡大とともに手狭となって、今の浜松城の場所に移ります。曳馬城は少年秀吉が初めて仕えた松下加兵衛によって連れてこられたというお城。曳馬城という名が、馬を引く=戦に負けると縁起が悪いと家康さまが浜松城と改名します。
古城跡には、浜松東照宮が建立されています。秀吉と家康に縁がある場所として、↓銅像が建てられています。ってか、秀吉の扱い酷くないですか?ま、少年だったらしいけど…。どっちも天下人…。信長も入れて三英傑‼︎
家康愛の強い、浜松でした。