和歌山城は羽柴秀吉の頃、1585年に秀吉の弟、秀長に創建させたのが始まりです。当初は黒いお城で、藤堂高虎が手掛けた最初の近代城郭とも。
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関ヶ原後に、浅野家が入城し、連立式天守や本丸他の屋敷を造立。徳川時代(1798年)に白壁の白いお城に変わったようです。
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1619年に家康の10男、頼宣が55.5万石で入城、紀州藩となりました。1846年に落雷で天守が全焼しましたが、将軍を輩出した家格であったため、天守閣の再建が許され、1850年に再建されました。1935年に国宝に指定されましたが、和歌山大空襲で焼失。昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されました。
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紀州徳川家は西日本を監視する役割を担っていたと言われ、8代将軍吉宗と、14代将軍家茂を輩出しています。9男義直を初代とする尾張徳川家、11男頼房を初代とする水戸徳川家と合わせて、徳川御三家と言われています。
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↑桃瓦♡。桃は中国では厄除、不老長寿の果物として、仙果と呼ばれますが、日本神話でも黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた実として、イザナギノミコト(伊弉諸尊)からオオカムヅミノミコト(大神実命)の名を拝名したとされています。
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和歌山城では鬼門に当たる所に、桃瓦があったそうです。
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↑連立式天守閣は、天守への門を閉じると外からの防備が厳重となるので、戦うお城の形といってよいようです。
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↑和歌山城には御橋廊下という、殿様と奥女中が二の丸と西の丸を行き来するのに使った屋根付き橋が平成になって復元されています。
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↑御橋廊下からの天守。
閉館ギリギリだったから、出されちゃったけど、もっと色々見たかったな〜。