家康の10男の頼宣が建立した、西の日光とも言われる紀州東照宮です。頼宣は紀州徳川家の初代藩主。3代将軍家光と2歳しか違わない叔父さん。
鳥居の向こう、両側に灯籠達が並びます。ちょっと回り道をさせられて、橋の先に本殿へと続く長い階段が見えます。
階段の両側にも灯籠たち。東照宮って雰囲気です。
↑本殿です。重文。2016年は家康の没後400年でしたが、8代将軍吉宗の将軍就任300年の記念の年でもあったようです。吉宗は頼宣の孫。
↑階段を登りきると、和歌浦湾が見えます。
↑高野山の徳川霊台へ続く道にも灯籠が。霊台に続く道には↑灯籠なし。
↑拝むだけですが、入場料払います。御朱印もありました。
↑家康の霊台。大権現様なので、隣の秀忠の霊台にはない、鳥居もあります。
↑他の武将は供養塔の五輪塔でしたが時の将軍家は高野山にもお金をかけています。
↑秀忠の霊台。
家康のとは彫刻が違うそうです。家康は虎。秀忠は兎。
↑奥の院には、紀州徳川家頼宣の供養塔。紀州徳川家の供養塔には、このちょっと♡っぽい門扉が必ずありました。
↑家康の次男で、秀吉の養子に出した秀康の霊屋(右)とその母君の霊屋(左)。お家風。誰か手入れを…と思いましたが、重文、世界遺産です。
葵紋のお寺。1594年に家康が参詣し、蓮華院から大徳院へと改称したようですが、明治時代には元の蓮華院に。松平家時代からの徳川家の菩提寺だそうで、位牌が祀られてるそうです。
↑泊まった宿坊には、信長や秀吉と戦った時に、坊主が身につけた鎧が置かれていました。
宗派に関係なく、極楽浄土へ行けるとされた高野山。武将たちは仲良くお馬に乗ってるでしょうか?