現存する最古の天守と言われる犬山城。
1601年頃のものと言われています。
小牧長久手の戦いは1584年8ヶ月もの間続いた秀吉と家康・織田信雄(のぶかつ)連合軍の戦いです。犬山城は楽田城とともに秀吉側の陣営地となりました。
賤ヶ岳の戦いでは、信雄を擁立した秀吉ですが、信雄から安土城を取り上げ、関係は悪化します。
家康は清洲同盟を結んでいたこともあり、信雄からの要請に応え、連合軍として秀吉に対立し、小牧長久手の戦いとなりました。
小牧長久手の戦いでは、家康が勝利したと言われますが、信雄の治めていた伊勢、伊賀、尾張は劣勢で家康も援軍派遣ができなかったそうです。
秀吉側に、領土の大半を取られる形となり、信雄は秀吉と和睦します。
織田四天王でもなく、光秀を陥れた秀吉が天下への道を繋ぎます。←憶測憶測…^ ^
↑犬山城には、小牧長久手の戦いの陣営の図がありました。
犬山城は信長の叔父の信康によって、1537年に築城され、成瀬家の所有になるまでに城主がコロコロ変わります。平成になっても個人所有されていたお城です。
↑犬山城築城の頃から御神木として大事にされてきた杉の木。