静岡駅からバスで久能山下へ。石段1159段を登って東照宮に参拝します。山寺より多いアセアセ
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久能山東照宮は家康の遺命により、家康の遺体が埋葬されました。家康は日光への神社造営も秀忠に託していました。託されたのは天海と藤堂高虎か…。
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1616年に家康が亡くなり、ほぼ同時に造営は進行されたようです。1617年1月に久能山東照宮、4月に日光東照宮の社殿は完成しています。
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もともとこの地には久能寺がありましたが、1568年に武田信玄が今川氏の領国、駿河に侵攻し、久能山城を築城します。武田氏の滅亡後は家康がこの城を支配下としました。駿府の要害として、堅固な城に改修されていったようです。
{1AB2622B-B645-41CB-8CDB-C10B0AA0CB7D}↑大手門から見た下界。↓一の門(大手門)
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神社なのに石垣があると思ったら、城だったというので納得。
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↑楼門↓楼門をくぐると、38歳の時の家康の手形がありました。
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↓久能山東照宮もしっかり造られています。
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社殿のある辺りが、久能山城の本丸があった所です。
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↑数は少ないですが、徳川家臣の灯籠が並びます。譜代大名家の名前が印されてました。大分劣化して崩れているものも多いです。
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↑どこに行っても、お直し中です。
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↑家康 お手植えのミカン。
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↑家康と信長、秀吉も合祀されています。
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↓本殿を進むと、神廟への階段があります。
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家康が埋葬された場所であるなら、多分、政宗もここに参詣しているはず…。
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↑日光奥の院の神廟に比べると、サビが目立ちますが、徳川家という感じです。久能山には博物館もあって、家康が薬作りに使っていた刀など見ることができました。