1588年佐々成政に代わって、肥後北半国の領主となった27才の加藤清正は隈本城に入城。1591年から茶臼山一帯に新たな城郭を築き始めます。
1600年頃には天守が完成。関ヶ原の功績から、19万5000石だった肥後北半国から52万石の肥後一国を任されます。
お城が完成したのは、1607年。↑↓加藤神社から見た熊本城。
清正が亡くなった後、清正の息子、忠広が改易され、細川忠興の息子、忠利が熊本城に入城したのが1632年。その後も増築が進められたとのこと。
清正が亡くなった後、清正の息子、忠広が改易され、細川忠興の息子、忠利が熊本城に入城したのが1632年。その後も増築が進められたとのこと。
↑石垣には草が生えていますが、地震前には年に1回は、地元の企業の方たちが草取りをしていたそうです。
↑本丸跡。
↑加藤神社までは入れますが、石垣が崩れないように補強されています。
↑地震で倒れてしまった木。
↑崩れてしまった石垣の石が並べてありました。よく見ると、1つ1つに番号がふってあります。いつかは、また以前の熊本城に…と希望を持たせてくれました。農業振興や治水に力を尽くし、領民に崇敬されていたという加藤清正。細川氏に領主が代わっても、その崇敬は変わらなかったと言われます。
↑本丸跡。
↑加藤神社までは入れますが、石垣が崩れないように補強されています。
↑地震で倒れてしまった木。
↑崩れてしまった石垣の石が並べてありました。よく見ると、1つ1つに番号がふってあります。いつかは、また以前の熊本城に…と希望を持たせてくれました。農業振興や治水に力を尽くし、領民に崇敬されていたという加藤清正。細川氏に領主が代わっても、その崇敬は変わらなかったと言われます。
初めての九州でしたが、本当に濃い5日間でした。