徳川時代に仙台と江戸との行ったり来たりの生活を強いられていた政宗。
家光の頃の1635年、政宗69歳のとき。政宗による饗応が二の丸で開かれます。政宗がお茶を点て、諸大名たちと能を演じたそうです。政宗は自分の小姓に能を学ばせ、演じさせ、自らは太鼓を打っていたとのこと。自身でも演じる素人能というものが大名たちには流行っていたらしく、家光もまたそうした素人能を好んでいたようです。
↑二の丸跡は庭園になっています。
↑北桔橋門と平川濠に面した石垣。天守の裏側なので、石垣はだいぶ高いです。
↑平川門に続く平川橋。
↑平川門。
↑梅林坂の石垣
桜の頃には気づきませんでしたが、紫陽花が色んなところに咲いています。
↑天守台裏。
↑奥に北桔橋門の塀があります。
↑中之門跡。
正月、節句、家康命日と月に2回の月次登城が義務付けられていました。↑富士見櫓。本丸跡にある遺構では最も古いものだそうです。
↑本丸大芝生。