江戸時代、浅草寺の境内で能のお披露目がありました。徳川家は室町時代から能に傾倒していて、豊臣家直属の4座を保護したと言われています。
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江戸時代はまだ、野外で催されていたようですが、秀吉、家康と天下人が能に熱心だったことから、諸大名たちもそれに倣ったようです。
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政宗も勿論、能が大好きで。浅草寺の境内での能のお話も残っています。
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政宗が浅草寺に着いた時には、演目も終わり観客も帰宅しようとしていたそうです。
「もう1番」と政宗が願い出たが、金剛太夫に断られてしまいます。
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「伊達の親父殿(家光からの呼び名)が頼んでるのに、断って済むと思うな!首刎ねるぞ!」と政宗様ご立腹。↑意訳です。
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急遽、再演することになりますが、演能する支度が整うまで、仙台藩の小姓たちと政宗自身が酒樽や金子を客が帰らないように振る舞った(ばら撒いた)…だけでなく、桟敷(舞台を観るための席)から出て、舞台に上がったり、演者に絡んだりした…というお話。
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政宗この時、60歳を越えていたようです。元気で暴れん坊な老年期を過ごしてます^ ^。
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お友達の細川忠興が息子への手紙で、『政宗、稲荷殿の知音(狐に憑かれたん)じゃね⁇…』って書いた程の奇行で、『丹羽長秀と立花宗茂が話してたから嘘じゃない』と念を入れてます。
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↑浅草寺は東京大空襲によって、大きな被害を受けましたが、所々に江戸時代から残るものがあります。
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↑浅草寺内に造られた東照宮への参詣のための橋。
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↑浅草神社社殿。1649年に家光により寄進されたものです。権現造で東照大権現の他に2神合祀されています。
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東照宮の門だったといわれる二天門。浅草東照宮は日光東照宮と同時に造営されたようですが、火事で1642年に焼失しています。
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↑金龍山の御神木。関東大震災、東京大空襲を受けながらもまだ健在です。樹齢800年を越えているといわれています。