↓江戸城大手門。東京は曇天曇り
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政宗と桜といえば、入洛の際に公家らに桜を見せられて歌を詠めと言われた政宗が、即「大宮人 梅にも懲りず 桜かな」と上の句を詠んだものの、公家らは下の句を繋げられなかったというお話。政宗この時、25歳くらい。 
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江戸城の桜は、
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曇ってたけど、まだ見れました。
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そして、前田利家らを驚かせた1594年の太閤秀吉主催の吉野の花見。
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大名他、総勢5000人という人数で吉野の山に行ったはいいが、3日間雨が降り続き秀吉がキレかかった吉野の花見。
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やっと晴れて、大名たちがコスプレして楽しんだ花見。秀吉はお茶屋の呼び込み。政宗率いる奥州組は山伏の格好をしていたといいます。
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コスプレしてコントも披露し、茶会、歌会もしました。
↑↓駿府城跡。こちらは晴れ太陽
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お題を決めて、桜の歌を詠んでいくもの。
前田家の記録である『前田創業記』にも、政宗の歌の出来ばえは素晴らしかったと書かれているそうです。
{A93E8EEF-64A7-4E9E-95FE-0C2FF8E2DFE5}吉野の桜は御神木として、信仰の対象とされていました。秀吉のおかげで、楽しむ花見が伝わって残っているのかもしれませんね^ ^