信長が石山本願寺と戦い、石山本願寺跡に城を築いたのが大阪城の始まりでした。
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本能寺で信長が討たれた翌年1583年に、大阪を政治の中心にと安土城のような大きな城を目指し、秀吉は城の普請を始め、15年後の1598年に難攻不落と言われた大阪城を完成させます。
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現在の大阪城は徳川家康が秀吉時代の西の丸に建てた天守台の上に、秀吉時代の天守を模して(想像して)造られたものとのこと。
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大阪冬の陣ののち、本丸以外のものは壊され、真田丸も跡形なく盛土されてしまいます。何重にもあった濠も家康の命で各大名により、埋められます。政宗もこの時、この作業に従事しました。政宗48歳。
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↑大阪城内にあるミニチュア夏の陣。
大阪城が陥落する前日、片倉小十郎重長の陣に真田信繁の娘、阿梅(おうめ)が託されます。徳川の残党狩りの中、阿梅は白石城に逃れます。その後、妹の阿菖蒲、信繁の次男大八が白石城に秘匿され、育てられました。阿梅は後に、重長の後妻となっています。
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↑極楽橋は本願寺の頃からあったとも言われています。
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秀吉がここ大阪城に住んだのは、1~2年と言われています。
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大阪城を築城しながら、京都に聚楽第、伏見城と次々に築城して移り住みました。
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残念ながら、大阪での伊達家屋敷跡は資料がなくてわかりませんが、市役所のあたりに、江戸時代の仙台藩の蔵屋敷があったようです。