伏見の御香宮神社です。神社の門は伏見城の大手門を移築したものです。
↓神社の境内に伏見城の石垣などの残石があります。参拝後、伏見城跡へと向かいます。
伏見城(指月城)は1594年に完成となっていますが、1593年に政宗は秀吉の伏見屋敷で対面しています。
2年後の1596年、慶長伏見大地震で指月城が崩壊。1597年に木幡山に木幡山城を築城しました。
↑元キャッスルランド跡地には石碑が。
↑大天守も↓小天守も地域の方の声でランドが廃園となった後も残っています。模擬天守ですが…。綺麗です。
本丸跡含む城郭は明治天皇の御陵となっていて立入禁止だそうです。
白梅を見つつ園を出て、海宝寺に向かいます。
↑海宝寺表門。
中には↑
↓政宗が植えた木斛の木。根腐れしちゃって、↑次の世代になるようです。
お庭には↓鬼瓦が…
↓庫裏から本堂を眺めます。
庫裏の入り口から見える襖に、五七桐紋。
本堂も開けてくださり、正宗の位牌も奉拝させて頂きました。頑張って写経した甲斐がありました。
↑地名にもなっている『正宗』は伏見時代に政宗が書いた密書に正宗とあったからとかそうでないとか…
2年後の1596年、慶長伏見大地震で指月城が崩壊。1597年に木幡山に木幡山城を築城しました。
↑元キャッスルランド跡地には石碑が。
↑大天守も↓小天守も地域の方の声でランドが廃園となった後も残っています。模擬天守ですが…。綺麗です。
本丸跡含む城郭は明治天皇の御陵となっていて立入禁止だそうです。
白梅を見つつ園を出て、海宝寺に向かいます。
↑海宝寺表門。
中には↑
↓政宗が植えた木斛の木。根腐れしちゃって、↑次の世代になるようです。
お庭には↓鬼瓦が…
↓庫裏から本堂を眺めます。
庫裏の入り口から見える襖に、五七桐紋。
本堂も開けてくださり、正宗の位牌も奉拝させて頂きました。頑張って写経した甲斐がありました。
↑地名にもなっている『正宗』は伏見時代に政宗が書いた密書に正宗とあったからとかそうでないとか…