聚楽第と二条城家康が征夷大将軍となって、御所の守護と将軍就任の儀を行うための上洛時の宿所として1603年に造営した二条城。政宗も1626年の天皇行幸の際に家光と共に参内しています。↓二の丸御殿の前に聚楽第の遺構の唐門があります。二の丸が現存する数少ないお城の二条城。↑二の丸の玄関になっているのが、聚楽第の車寄せ。↑二の丸御殿。二の丸の広さは畳800畳分と言われます。政宗の青葉城大広間は千畳敷と言われてました。↑二の丸の庭園。二の丸の床も鳴き床らしいですが、大徳寺の方丈のが凄いです。↑本丸。旧桂宮御殿。京都御所から移築されたものです。↑本丸外側。↑ほぼ中央に天守台跡があります。徳川家には親藩、譜代、外様と大名の格付けがありましたが、参内の折に政宗の馬の総(ふさ)は紫色を認めていたとのこと。御三家と言われる尾張、紀伊、水戸も認められなかった紫色…です。