京都編
秀吉が1587年に造営した聚楽第。伏見城に移った後は、養子の秀次が住んでいましたが、失脚させた後、破却となりました。
↑↓跡地には「聚楽第跡」の石碑のみ立っています。聚楽第の敷地は東西に600m、南北に700mという広さでした。
聚楽第から堀川を渡ると、伊達家の京屋敷がありました。聚楽第自体が1595年に破却と秀吉が住んだのも短い期間だったので、伊達家の所有も短かったと思われます。↑今は樂美術館があります。この聚楽の屋敷で愛姫との第1子である五郎八姫は1594年に生まれています。
聚楽第の遺構を求めて、大徳寺に行きました。方丈と唐門が聚楽第から移されたものですが、国宝のため写真撮影は不可です。方丈の床は鳴き床(鶯張り)です。ピィピィピィピィ…します。
↑奥の方に唐門があります。全然見えませんが…。
大徳寺は秀吉が信長の葬儀を行った所で、
↑総見院は秀吉が建立した信長の菩提寺です。
↑勅使門。桃山時代建築の重要文化財です。大崎八幡宮と似ています。
折角なので、信長が祀られている建勲神社にも行ってきました。