昨年のお札をお焚き上げして頂くために、明治神宮に行ってきました。
明治神宮は大正になって、明治天皇を慕った区民(その頃は市民でしたが…)が神宮建設を望んで明治天皇の所縁の地のこの場所に造営されたそうです。園内は全て植樹されていて、奉仕に集まった国民は13000人にも及ぶそうです。
元は加藤清正の別邸で、その後彦根藩の井伊家の下屋敷となりました。政宗の若い頃は加藤清正が所有かなと思われます。
明治天皇はヨーロッパに岩倉具視らを派遣した際に、政宗が支倉常長を派遣し貿易をしようとしていたことを知り、『政宗は、武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いを馳せて交渉を命じた。文武に秀でた武将とは、実に政宗の事である』と語ったといわれています。