白石編 1
政宗の重臣、伊達の知将、竜の右目と言われた小十郎景綱。19歳の頃から政宗の傅役となり、生涯を伊達家に捧げます。
↑駅にはこんな幟が…これは重綱。大坂夏の陣での戦功により鬼の小十郎と言われた景綱の長子です。

↑泊まった宿にはレプリカ。
白石駅で自転車を借り、まずは片倉家御廟所へ。緩やかな上り坂です。
廟所の駐車場に案内図があります。

階段を登り、お墓の中を進んでいくと、
片倉家廟所があります。
↑中央に初代景綱の墓。

↑石仏が並んでいます。↓片倉家御廟所から坂を登って少し行くと喜多の墓があります。
喜多は景綱の姉で、政宗の養育係として、景綱より先に伊達家に仕えていました。文武両道で兵書を好んだといいます。
喜多は伏見時代、政宗の留守中に、政宗の愛妾を秀吉に献上し、政宗から国許での謹慎処分を受けました(蟄居)。
太閤の機嫌を損ねず、伊達家を守った行為として語られてます^ ^
景綱が伊達家から出奔しようとした時、「忠臣は二君に仕えず。政宗を裏切ったら不義不忠の名は消えない」と諭した人でもあります。喜多がいたからこその伊達の双璧です。小十郎のとこには無かったお花が供えてありました。すごい落ち葉です。