法学部に籍を置いていた経歴のせいかどうも定義というものを考えの主体に置く事が多い
定義というのはある事象(言葉)が持つ意味と言える

定義について2016年03月01日のブログで一瞬触れてますが
いまいち何の事分からんと思うのでとあるQ&Aサイトに書かれていた話を例に取って書いてみます

例えば民法第三条の一項に『私権の享有は、出生に始まる』という条文があります
「生まれたんだから人間としての権利を持つなんて何を当たり前のことを言っているんだ!」となるはずですが
法律学的には出生ってそもそも何?ということになります

◎受精した瞬間なのか?
◎脳が形成された瞬間なのか?
◎頭の先が一ミクロンでも出たらなのか?
◎全身が全て出たらなのか?
◎産声を上げて肺呼吸をしたらなのか?

出生という言葉の意味を定義付ける
これをしなければその赤ん坊が人権を取得する瞬間が曖昧になる事につながります

法律上だけでなく世の中には色々定義付けられてる物がたくさんあります

例えば日の出
これは太陽の上端が地平線に接触した瞬間と決められています
この何を以って日の出と言うか?が定義付けられていないと日の出時刻が決められない事に繋がります

そんな法学部では頻繁に耳にする定義なのですが
色々な事象に対してその事象の定義を考えてしまう癖が付いてしまいました

よく会話とかで
「○○の事件の犯人が捕まったらしいで」
とか言ってる奴を見ると
「犯人っていう言葉の定義は裁判で有罪判決を受けた人間の事だから逮捕された時点で犯人な訳ねーだろ」
とツッコんでしまうのです

ある言葉に対してその言葉の定義を凄く気にしてしまうのです

そんな面倒くさい癖があるのだというどうでも良い話でした