北条氏政公の麦飯、茶漬けの話のウソ!?

氏政公の逸話

氏政公の逸話に味噌汁や麦飯の話があります。今回はその2つを解説していきたいと思います

味噌汁の逸話

食事の際に氏政公が汁を一度、飯にかけましたがが、汁が少なかったのでもう一度汁をかけ足しました。これを見た父の氏康公が「毎日食事をしておきながら、飯にかける汁の量も量れないとは。北条家ももうじき終わりか」と嘆いたという逸話です。(汁かけ飯の量も量れないのに関東の地を治めることなど出来る訳がない、という意味)。同じ内容で毛利元就とその孫で後継者の輝元の間の話としても伝えられています

 

麦飯の逸話

農民が麦刈りをする様子を氏政公が見て、「あの取れたての麦で昼飯にしよう」と言ったという話です。麦はとりたてのものを食えるはずもなく、記録官や家臣に呆れられる始末。それを武田信玄公が聞き大いに笑ったという逸話です。

逸話の解説

この逸話はかなり有名なものですよね。氏政公が愚者だったと表していますが実際はどうだったのでしょうか?麦飯の話は甲陽軍鑑にて書かれていますがこの軍記はかなり武田家よりで語られているものです。なので信憑性は低いでしょう。ライバルの北条家をを暗愚に書こうとしている意図が読み取れます。

氏政公の実力

氏政公は北条家が滅んだときの最高権力者となっていましたが北条家の石高を200万石まで広げました。それはすごいことで逸話のような暗愚ではなかったと思います。歴史は様々な視点があると思いますので、またそれが歴史を知る1つの楽しみになると思います。

 

諸説あり。ここでは歴史の1つの視点を紹介しています。