さて、龍神を祀る社には、川や湖などの水場と関係性があり、私の住む浜松市では、諏訪湖を水源とする天竜川が流れており、他にも、旧浜岡町(御前崎市)へ位置する桜ヶ池は、池の底が諏訪湖と繋がっているなどと数々の伝承が御座います。


こうした伝承には、蛇が脱皮を行う際に水場を求める習性から、水の中へ浸って、脱皮を行う蛇の姿を見た古代人は、生き物である蛇が入水するコトで、生死を超越した存在(龍神)へ生まれ変わると信じたと思われます。


例えば、桜ヶ池の龍神伝承では、浄土宗の法然へ師事した皇円阿闍利が、56億7000万年後に現れる弥勒菩薩へ教えを乞う為、自ら桜ヶ池へ入水した後に龍神となったそうでして、比叡山の高僧という特別な存在が池の中へ入水するコトにより、不老不死といった存在へと変化する内容は龍蛇信仰の典型といえましょう。


他にも、大峰山の遺跡調査を行なっている際、山本先生より【あなた達は、6月に花供入峯を行う訳だけど、あれを太陰暦へ従うのなら、もっと早い時期に行なっていたハズだよ】などと仰るのです。

それは、冬眠明けの蛇が、再び地上へと姿を表す時期でもあり、この頃に行者が入峯するコトで【擬死再生】を表しているのかもしれません。

そう考えますと、去年の大峰入峯修行で、私へ【蛇〜日本の蛇信仰〜】を進めた日光修験の行者さんが、「この本を読めば、修験道の本質が全てわかるよ」などと仰っていた真意をようやく理解できたコトとなります。


この場を借りて、改めて感謝申し上げます。

他にも、吉野裕子氏の【蛇〜日本の蛇信仰〜】には、天狗が持つ【ヤツデの葉】や柴燈護摩供で用いる【桧扇】、主に本山派の山伏さんが腰に刺す【簠簋扇】(ほきせん)など、修験道へまつわる宝具と蛇との関連性を考察しており、ご興味のある方は私からも是非オススメしたい一冊です。


では、そろそろ、龍蛇信仰の根幹へと迫りたいと思いますが、吉野裕子氏は、正月に歳神様へ供える【鏡餅】を挙げており、それは古代縄文人が行っていた蛇巫の名残りであり、蛇巫と呼ばれる巫女が、甕の中へ赤蛇を飼うコトで霊性を高めて神託を受けるというのです。

やがて、弥生・古墳時代ともなると、零落した蛇神が蛇巫より使役される存在へと変化するのですが、コレは明らかに【呪禁】(じゅごん)のコトを指していると考えられます。

呪禁とは、道術の一種でして、【持禁】(じきん)と呼ばれる病気などの治療を行った他、【厭魅】(えんみ)や【蠱毒】(こどく)といった呪術を用いたそうですが、一説によりますと、東南アジアで海上生活を行っていた海人族が、中国の江南沿海部へと渡り、やがて加茂氏の源流となる宗像海人となり、中国から日本へと伝えられた咒法の一種だとされます。

続日本記によれば、加茂氏の末裔である役行者は、弟子である【韓国広足】(からくにのひろたり)の讒言によって流罪となりますが、その韓国広足とは、呪禁師達が集まる典薬寮へ所属しており、役行者自身も呪禁の大家だったと考えられます。

この呪禁とは、自身の丹田へ蛇の精霊(自然霊)を飼い慣らしたり、蠱毒と呼ばれる呪術では、壺の中へ蛇やトカゲ・クモ・ムカデなどの生き物を入れた後、その中で最後に生き残った存在を呪物として用いるなど蛇巫との関係性が伺えられます。

蛇巫から発展した呪禁は、安倍晴明によって【陰陽道】へと展開しますが、修験道に於いては、密教との結び付きにより、行人方(山伏)と呼ばれた修行僧達による仏道修行へと発展するのです。


私達日本人の基礎文化には、古代縄文時代からの信仰形態が未だに存在しております。


しかし、そうした信仰形態が、余りにも複雑多岐に及んでいる為、その実態を掴むコトは容易では御座いません。


民俗学者の吉野裕子氏とは、蛇といった対象へ着目して、日本の基礎文化へ挑んだ大家だと思われますが如何でしょう。