2024年2月4日、17:52配信のYahooニュースFlash記事によりますと【「ラーメン山岡家」北海道・釧路町店で、テーブル上のピッチャーのふたをなめるような行為を撮影し、SNSで拡散したとして、2月3日、住所不定のアルバイト・外川涼翔容疑者(20)が逮捕された。】との報道が御座いました。

こうした、飲食店の商品や備品を舐める行為は、2023年1月に『スシロー・岐阜正木店』で高校生が未使用の湯呑みを舐めるなどの行為を撮影したり、同年2月には『くら寿司 名古屋栄店』において、若者が醬油さしを舐める動画をSNSで拡散するなど、コロナ禍という自粛期間中に起こった一連の事件は大手企業の株価を左右させる程の強い影響力を及ぼしました。

こうした行為は、いわゆる【バカッター】と呼ばれる、責任能力が著しく欠如した若者達によって、自身の承認欲求を満たす行為だったといえましょうが、ココで注目すべき要点は、このような動画を拡散させて、加害者の氏名や住所・学校名などを追求する人々によって、警察や企業が対応に追われる騒ぎまで発展した経緯こそ【ポストモダン】と呼ばれる新たな社会構造へ移行した象徴的な出来事だったといえるのです。

ポストモダンとは、多様性を認める小さな権威の集合体を意味しており、個人がSNSなどのサーバーを通して、世界へ情報を発信できる社会構造を意味しております。

例えば、従来の社会構造とは、テレビや雑誌・新聞といった媒体(マスメディア)を通して、一方的な情報を受け取るだけの受動的存在に過ぎませんでした。


しかし、インターネットの普及によって、受動的存在であった私達が能動的な存在へと変わり、自由に世界へ向けて情報を発信できる小さな権威となった訳です。

それは、 SNSを媒体とした小さな権威によって、マスメディアという大きな権威が報じなかった不都合な真実を発信するコトにより、氷河期世代とよばれる30〜40代以降の人々から【マスゴミ】などと揶揄されテレビや新聞を見ない若者達が急増するのです。

例えば、ある国の文化をゴリ押ししたり、偏った意見だけを一方的に放送したり、アメリカのCNNやイギリスのBBC放送など、世界的なメディアが大々的に報じられている事件を一切報道せず、反対に芸能人のスキャンダルや政治家の汚職問題を取り上げるコトで国民の目をあざむくなど、大きな権威によるイデオロギーの統一が小さな権威の出現によって図れなくなった訳です。


つまり、マスメディアという大きな権威は、イデオロギーの統一を図る為に【規律訓練型社会】と呼ばれる情報統制を行なっておりましたが、【多様化主義】を掲げるインターネットの普及によって、様々な意見や情報を発信できる小さな権威の登場により、【ソーシャルメディア】が個人の情報やアカウントを管理する【環境管理型社会】へと移行したのです。


ここで重要な要点とは、SNSを運営するソーシャルメディアは、危険な思想や行動を引き起こす人物に対して、アカウント(小さな権威)を凍結する権限があり、他にも何の告知もなく個人の情報を第三者機関(例えば他国の政府機関とか)へと提供する可能性があるなど、私達の個人情報やアカウント(小さな権威)はソーシャルメディアの意向で簡単に操作できる【排除型社会】になった訳です。

それは、一見致しますと、ソーシャルメディアが私達を支配しているかのように思いがちですが、しかし、個人が発信した情報に対して、ソーシャルメディアは一切の責任を負わず、私達に対して【このような発言や行動は控えて下さい】などと、具体的な指示や意向も示さない環境管理体制に任せる主義を一貫しているのです。


つまり、従来のマスメディアが不祥事を起こした際、帝国ホテルの一室を貸し切って、金屏風の前へ社長や編集者が一同に並んで謝罪した後、ことの経緯を弁護士を交えて長々と説明するシーンを思い浮かべますが、しかし、その説明責任や多額の賠償金は、SNSを運営するソーシャルメディアではなく、私達個人が一切の責任を負わなければならない為、店の商品や備品を舐めてしまう男の子が、大手企業を相手に1億円もの損害賠償を請求されるケースもある訳です。

ポストモダン化社会とは、知らず知らずのうちに、私達は小さな権威を持たされて、その社会的責任は全て個人に背負わされる社会構造になっていたのです。


実は、こうした社会構造を、全く理解できない人々が大変に多く、いわゆる一連の【寿司テロ事件】でも、同様の動画を拡散した若者が警察の調書で【自分は大丈夫だと思っていた】などと、自身が犯した行為に対して罪の意識を全く感じていない訳です。