早朝より出発して、およそ5時間が経過致しますと、高く切り立った雄大な景色が眼前へと広がります。

やがて、フロントガラスから、幾重にも連なる瀑布が現れました。

先生は、その滝を眺めながら【そろそろだよ】と仰った後に、今回の目的地である小仲坊へと辿り着きます。


そこには、既に多くの車が駐車しており、駐車場所を確保するコトすら容易では御座いません。

そして、うず高く積まれた石垣の向こうから、活気ある大勢の人々の声が山中へこだましています。


私は、先生の後へ付き沿い、趣のある石段を登った先には、竹ボウキや熊手を手にした40人近くの人々がおりました。

先生によりますと、今日は地元の有志の方々が集まり、年に一度の大掃除を行う日なのだそうです。

すると、50代ぐらいの気さくな男性が、先生の元へと駆け寄り挨拶されました。

その方こそ、今回の大掃除を主催なされました熊野修験先達の柴田實英さんです。

柴田さんは、5年程前から、週末になると小仲坊へ訪れ、人里離れた宿坊を盛り立てる為に様々な催しを行っている方だそうです。

そして、小仲坊第61代当主、五鬼助義之さん夫妻から、今回集まった有志の方々に向けて挨拶されますと、粛々と各自が役割り分担をして作業へと取り掛かりました。

どうも、今回の大掃除は、毎年おこなわれている恒例行事らしく、皆さんは自身の持ち回りを良く理解なされた方ばかりなのですね。


私と先生は、お堂の裏山にあたる、金輪王寺跡の清掃と調査を行ったのですが、そこから、幾つもの切石を寄せ集めた遺構を発見します。

すると先生は、ニヤリと笑い【これは炉やなぁ】などと仰り、柴田さんや有志の方々を呼び寄せて、熊野修験の起源を語り始めました。

先生によりますと、その炉跡は正方形になっており、その中央には、人の頭ほどある石が立っております。

それは、どうも曼荼羅を表しており、炉跡そのものは陰石であり、中央の立ち石は陽石であり、陰陽が交わる場所に神が降り立つというのですね。

そして、その炉には、四隅へ結界の御幣を立てて、3本の鉄棒を三又にした上へ釜を置いたそうなのです。


すると、柴田さんから「あぁ、柱源の水輪盤も三つ足でしたよね」などと鋭い御指摘があり、先生は更に【そうやぁ、何で3本か分かるかぁ?】などと仰り、続けて先生はこの様に仰りました。

熊野権現とは、三所権現などと申しますが、山伏の【山】という字も、3本の線がそれぞれ立っております。

【三】(さん)とは、【山】(さん)でもあり、それは【産】(さん)へと繋がるそうでして、新たな命を産み出したり、物事の始まりを意味するそうなのですね。

ですから、新たな命が生まれ、新たに物事が始まる場所こそが山という自然であり、そうした神聖な場所に神が降り立つのだと先生は仰ります。

つまり、この炉跡は、生活の為の炉ではなく、神事へ用いる神聖な場所らしいのです。

先生によりますと、炉跡がある場所は、礎石の配置から神社の拝殿中央にあたります。

また先生は、柴田さんへ【拝殿とは、神楽を舞う為にある訳だから、本来なら正方形でいいわけです。

しかし、ココの拝殿跡は、何故か?左右に広がる長方形だけど、その広がった場所へ山伏達が詰めていた訳だ。

じゃあ、その山伏とは、一体誰だったか分かる?】などと、柴田さんへ質問致しますと、柴田さんは即座に「熊野長床衆ですか?」と答えます。

先生は、柴田さんの応答に対して、ニンマリと笑みを浮かべて頷きました。


つまり、かつては、前鬼宿までが、熊野修験の活動範囲だったコトを意味するのですね。

更に先生は【それなら、何故に拝殿の中央へ炉を造ったのか?】などと私達に対して質問を投げかけます。

先生によりますと、どうも拝殿内で【湯立て神事】(※1600年頃まで行われていた)を行なっていたそうで、その湯立て神事こそが熊野を語る上で最も重要なんだと先生は仰ります。


昔から、【熊野】の地を(ユヤ)と呼び、熊野本宮があった場所を【大斎原】(おおゆのはら)として、浄瑠璃で有名な【小栗判官】では、地獄へ堕ちた判官は、熊野本宮付近の湯ノ峰温泉で元の姿へ戻り【蘇りの湯】などと呼ばれました。

先生によりますと、熊野那智大社へ所蔵しております、那智参詣曼荼羅と呼ばれる熊野曼荼羅図には、その中央付近へ柿渋色の衣を着た山伏が湯立て神事を行っております。

さて、湯を沸かす為には、火と水を用いるコトが必要となります。

それは、【火】🟰(カ)であり、【水】🟰(ミ)とするコトで、火と水が交わるコトにより(カ➕ミ)🟰【神】となり、つまり、湯を沸かすコトで、そこへ神が降り立つなどと考えられたそうです。

そして、湯が沸き、最初の湯気が立ち上がり、その湯気が消える瞬間に願いを念じた為、自分の意を湯気へ乗せるコトから(意)➕(乗り)🟰【祈り】(いのり)という言葉が生まれたそうです。

つまり、目に見えない神といった存在を、自然現象である湯気に置き換えた信仰こそが熊野権現の正体なんですね。


もっと突き詰めるのなら、熊野とは、縄文の昔から存在する日本最古の信仰とも呼べるでしょう。