戦国武将の手紙展開催 | 中川清秀公・本陣

中川清秀公・本陣

 郷土豊中の歴史を調べていくうちに出会った戦国武将・中川清秀。知名度は低いけど、実は男気あふれる魅力的な人物。此度タイトルを「中川清秀公・本陣」と改め、清秀公の魅力について皆様と語り合いたいと思います。ご意見、ご感想、情報など宜しくお願いします。

先日、阪急能勢電鉄・一の鳥居駅を降りたところにある、青山大学付属歴史博物館で開催中の「戦国武将の手紙展」に行ってきました。



青山大学付属資料館


これが歴史博物館。なんとこんなところにお城が!実は前学園長さんが戦国武将・塩川氏の御末裔だそうで、それにちなんで後世に残る建築として安土城をモデルに建てちゃったらしいです。。。


※戦国塩川氏の居城は山下城という戦国時代の山城。こことはもちろん別の場所にあるのですが・・・・

で、なんで安土城なんだというと、戦国塩川氏はなんと織田信長と親戚だったようなんです。有名な「清州会議」で登場する信長の孫、三法師ちゃん。

秀吉が抱いて登場する有名な場面ですが、この三法師君のお母さんが塩川氏の娘(鈴姫)らしいんです。



江州安土之石


そういう関係からか、お城の石垣にはこんな名前が・・・



戦国三将の像


戦国武将三将の像。(左より 塩川長満・織田信長・森蘭丸)


 これは天正七年、摂津に鷹狩りに訪れた信長公のお供を塩川氏がした故事(信長公記)にちなむもの。塩川氏は清和源氏の流れをくむ北摂を代表する戦国武将。で、中川公とは系図をたどると遠い親戚筋にあたるようです。そういう関係からか、除幕式には現・中川家ご当主も参列されたようです。


 大河ドラマに関連して黒田官兵衛の書状なんかもあったのですが、私の注目は、古田織部(手紙では古織様)に宛てた細川忠興(幽斎の子。熊本藩主。ガラシャの旦那さん。)の手紙。

内容は「あなたに戴いた壷ですが、水が漏れて使えないのでお返しします」と言ったもの。織部さんは一度割った茶碗をつないで「このつなぎ目がおもしろい」なんて言っていた人。この壷もおそらく実用のものではなく、そういった観賞用の芸術作品だったのかもしれませんね。


 細川の殿様はまじめにそれを使おうとして「何だつかえないじゃないか!」って怒っていたのかもしれませんね。

もう一通は織部が誰かに宛てた返書。右上に跳ね上がった独特の書体です。(漫画へうげものでも書いてました)


 学芸員さんの解説によるとこういった書状は祐筆という秘書官が書くのが普通で、直筆かどうかを見分けるのは難しいそうですが、「誤解を恐れず、乱暴な言い方をすると字が汚く見えるのが直筆」らしいです。こう云った個人同士のやり取りの手紙はおそらく直筆でしょう。

ほかに直筆と思われるものとして明智光秀の手紙がありました。家臣に宛てたもので、いきなり「この間の戦いでの傷の具合はどうだ」と書きだしています。家臣を気遣う光秀の人柄が偲ばれます。この書状は家臣の末裔の方が巻物にして、ほかの書状と共に大切に保存していたそうです。