秀吉 尼崎の危難 | 中川清秀公・本陣

中川清秀公・本陣

 郷土豊中の歴史を調べていくうちに出会った戦国武将・中川清秀。知名度は低いけど、実は男気あふれる魅力的な人物。此度タイトルを「中川清秀公・本陣」と改め、清秀公の魅力について皆様と語り合いたいと思います。ご意見、ご感想、情報など宜しくお願いします。

 こんにちは。先日尼崎市立文化財収蔵庫で開催されております企画展「秀吉・尼崎の危難」を見に尼崎に行ってきました。


尼崎はご存知、本能寺の急報に接した羽柴秀吉が諸将を集め、軍議を開いた所。秀吉は信長への弔意を表すため、頭を丸めるパフォーマンスを行ったとか。。。。


江戸時代になるとそのお話に尾ひれがついて、明智軍の待ち伏せにあった秀吉が機転を利かし、みそすり坊主に化けて難を逃れたというエピソードにかわり、人形浄瑠璃、歌舞伎や講談、錦絵の題材になりました。

今回はそんな秀吉伝説についての楽しい展示でした。





まずは周辺の紹介です。





尼崎城を模した外観の中央図書館





尼崎藩主をまつる桜井神社(藩主は櫻井松平氏)





尼崎発祥の地!?この辺りがお城のあった場所だそうです。


境内には尼崎城の棟瓦が・・・解説のコメントが面白いので紹介します。





「古い奴とお笑いでしょうが『古城』の歌中に ああ仰げば侘し天守閣 とありますように私は元和九年(1622)築城されてより明治六年まで天守の上より、又地上に降り立ってからも尼崎の人々の生活がうまくいきますように祈り続けていました。長い間生き続けて来ましたので表面がくたびれておりますがどうぞ末永く可愛がってください」





桜の軒瓦が可愛いです(-^□^-)





文化財収蔵庫です。最近までは中学校だったそうですが、統廃合により廃校。その後建物をどうするかとなったそうですが、建物自体歴史的に貴重なものですし、尼崎城の遺構(本丸)の跡ということで、文化財収蔵庫として新たにオープンしました。





映画「三丁目の夕日」のロケ地にもなりました。使われた小道具なども展示してあります。



尼崎城五百分の一模型。江戸時代、海上より城を臨むと浮城の様であったと言われます。




帰りには少し足をのばして寺町へ。


寺町は1617年戸田氏鉄(うじかね)が尼崎で築城を命ぜられたとき、寺を城の西方に集めたのがはじまりです。

写真の本興寺はあの本能寺と兄弟寺(開基が同じ)。お寺には信長上洛時の(兵士の乱暴狼藉などを禁じる)禁制が伝わっています。




法園寺は戦国武将・佐々成政の墓塔を伝えます。成政は信長配下のエリート武将でしたが秀吉に降伏。その後、肥後国の統治に失敗し、秀吉により尼崎で切腹させられました。




これが秀吉が逃げ込んだ伝説のある広徳寺。お寺にはその時秀吉が使ったというすり鉢が残っているとのこと!?


また寺町の尼信会館では、尼崎城や櫻井松平氏に関する展示や世界のコインの展示。




隣接する世界の貯金箱博物館では懐かしの貯金箱から世界の貯金箱を見ることができます。




しかも入場料は無料!お土産付!皆さんもぜひ行ってみてくださいね。



さてさて清秀公関係で言いますと、諸将参会の時、先陣を巡って清秀公と高山右近が言い争いになりました。(やっぱり・・)あわや取っ組み合いの喧嘩になろうという時、秀吉「あいやまたれい!」

「そこもと等の武勇は天下の知るところ。優劣つけがたし。ここは信長様もなされていた通り、敵に近い城主が先陣を務めるがよろしかろう・・・」ということでその場は一応治まったとか・・・

(もちろん治まるわけもなく、右近は手柄を独り占めせんと山崎の町の入り口を封鎖しますし、清秀公もまた、右近を出し抜こうと天王山に登ります・・・)


ちなみに荒木村重時代の「尼崎城」は現在の場所とは違うところにありました。