おおさかふみんねっと第三回「茨木城主・中川清秀と中川氏」を聞きに茨木市立生涯学習センターに行ってきました。
牡丹雪の降る中といへども中川とあっては行かずにはおれません!降りしきる雪をついて出陣。まさに賤ヶ岳合戦に臨む柴田軍!?
地元の事とはいえ、会場には五十名ほどの方が来られていて改めて中川氏に対する関心の深さに驚きました。
内容としましては
① 中川清秀の誕生
② 白井河原の合戦~茨木城主中川清秀の誕生
③ 茨木遺跡の発掘と茨木城
④ 賤ヶ岳の合戦と中川清秀の死
⑤ 中川清秀の後裔
といった感じで中川ファンにはお馴染み?ですが充実した内容でした。
① 中川清秀の誕生では「中川清秀の青年時代」として熊野田氏との結婚が取り上げられているところが豊中者としてはうれしかったです。
なかでも興味深かったのは⑤中川清秀後裔のなかの四代目・久恒公の大岩山参拝(清秀伯周忌)。現在の大岩山砦跡に建つ清秀公の墓塔はこの時に建てられたもの。
久恒公は以前からあった古塔を改修、現在の墓石を建立しました。家臣二十余人の銘を刻んだ石碑もこの時建立されたそうです。
今回の講師を務められた茨木市文化財資料館学芸員の清水さん。まだ雪の残る一週間前に現地に行ってこられたそうです。おつかれさまでした。
僅かに残る土塁などの痕跡。決して広いとは言えない砦跡。四百年前、千に満たない兵力で敢然と立ち向かった中川主従・・・清秀公以下将兵の息遣いが今も聞こえてきそうです。まさに中川ファンにとっての聖地。今年も行くぞ!
その後八代・久貞公も宝暦十二年に参拝。五年後の明和四年には記念碑が清秀公の墓の横に建てられました。
さて茨木市には郡山宿本陣(別名:椿の本陣・参勤交代の時大名が宿泊した)が現存し、今も九十才になるご当主が守っておられるそうですが、久貞公が宿泊された記録が残されています。残る宿帳には「初て御泊り」と記されています。目的は中川家菩提寺・梅林寺への参拝だったようです。(御殿様御忍ヒニて梅林寺へ御参拝被遊候)
久貞公は他家より御養子に中川家に来られた方。ことさら中川本家であることを強調する目的があったのではなかったかと言われていました。
椿の本陣は通常は団体予約でしか見学できないのですが、春と秋には一般公開がされるそうです。
今、高槻市立文化財資料館では中川展が開催されていますが、三月には梅林寺蔵の清秀公肖像が展示されます。また三月の十五日には歴史ウォーク「中川氏ゆかりの地をたずねて」が開催されます。(申し込み期間二月十七日~三月七日)この機会お見逃しなく!
帰り道に発見したのですが茨木市公民館で三月一日に「摂津茨木と茨木城」・「茨木の町と中川家の人々」という講演会があるそうです。私は茨木市民ではありませんが、ぜひとも参加したいです!
「茨木の町と中川家の人々」を公演されるのは、元茨木市の教育長で、郷土史家の大橋忠雄さん。中川清秀を題材に子供向けの冒険小説として「夢を追って 戦国武将中川清秀」を書かれた方。一度お会いしたいです。
追伸
講演の後、「友達に戸伏(とぶせ・中川家家老)の子孫がいてる」と仰っておられた方。見ておられたらコメント下さい。話しそびれてしまって残念です。岡城には清秀公室・稍(やや・熊野田氏)がかつてお住まいであった中川但見屋敷跡がありますが、この但見は戸伏系の家老です。
(岡藩初期の四家老 熊野田・古田・戸伏・田近:中川姓を賜わる)