筑紫には近東の胡語がよく残っている。
”あらしと”とは、中東の民族であった。
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★目次
☆1 針摺は狭い水路
☆2 ツヌガアラシトと現人神
針摺は狭い水路
(「儺の國の星」33、菜稈火星(なからびぼし)より引用
近東の胡語は筑紫には地名によく保存されております。Khaliti(ハリチ)はせまい水路でありますが、三笠針摺は今は陸化して昔の瀬戸、注野(そそきの)の面影はありませんが彼杵(そのき)の早岐(はいき)、針尾、南風崎(はえのさき)などはまだよく原型をとどめております。伊豫と豊後の間なる速吸門(はやすいのと)もそれであります。
玄界灘と有明海は針摺で繋がれていた。
図1 海面上昇シュミレーションシステム
紫丸のところが針摺
図2 針摺拡大図
右 YAMAP 左 Google map
針摺の拡大図。
図3 出典 文化財総覧web
針摺の文化財出土状況。
この辺り、出土されていないと言える。
「儺の国の星」には、
筑紫の東島と西島が針摺で繋がれたのは雄略帝十七(四七三年)のことである
「拾遺 P71」
とあった。
これらの言葉は、近東の胡語だという。
かの書には、物部の先祖もそこから来たとあった。
彼らの言葉が、この地に生きている。
ツヌガアラシトと現人の神
(「儺の國の星」33、菜稈火星より引用)
ain(アイン)と言います。諫早の愛野は昔から温泉岳を下った伏流水が噴出する有名なところであります。安羅人、即ち中東の民族は”あらしと”なる言葉で筑紫には随所にきておりました。
中東の民族は”あらしと”。
物部の先祖は近東から来ていた。
ツヌガアラシトは、意富加羅国(おおからくに)から来たとされる。
彼は高良神、饒速日命に繋がる。
物部の祖神だ。
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福岡には二つの現人(あらひと)神社がある。
那珂川市の現人神社
香春(かわら)町の現人神社
那珂川市*現人神社
この内、香春の現人神社は、都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしと)が祭神。
「意富加羅国(おおからくに)の王子で垂仁天皇の時代に、新羅の姫神(比咩語層神・ヒメコソノカミ)の跡を慕ってこの地に御鎮座しました」とされる。
ここは「高良玉垂宮神秘書」で高良神が、異類を退治した高良峰(香春岳)。
彼は高良神に繋がる。
香春町*現人神社
「日本書紀」には、垂仁天皇の時代に都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)が来日したとある。
彼は比売語曾(ひめごそ)神を追って渡来した神。
同じ項で、天日槍の記述がある。
しかし、「古事記」には、それが応神天皇の項に天日槍として記載されていた。(その時代に来たという記述ではない)
全く同じ話であり、ツヌガアラシト=天日槍であったことが分かる。
更に小郡と鳥栖にあるヒメコソ神社から、饒速日命と御炊屋姫、高良神と神功皇后に繋がった。
香春の現人神社の近く、香春山の麓には古宮八幡宮神社があり、辛国から来て一ノ岳に鎮座した「辛国息長大姫大自姫」が祀られる。
彼女が息長垂姫、神功皇后である。
ツヌガアラシト=磐舩神=饒速日命=高良神
ヒメコソ神=神功皇后=辛国息長大姫大自姫=栲幡千千媛=棚織神=市杵島姫命=御炊屋姫
☆気比神宮のツヌガアラシト
気比神宮では、ツヌガアラシトと応神天皇は名を変えている。
「名を変える」は同神を示唆している。
尚、同行していた武内宿禰は高良神であり、彼自身。
☆祇園神
ツヌガアラシトは、牛頭天王=祇園神=スサノオ神
高良大社の下社は、祇園さんと呼ばれている。
高良神が祇園神であり、ツヌガアラシト。
「高良玉垂宮神秘書」にあった高良峰(香春岳)の高良神が彼なのだ。
高良神は、住吉神でもあった。
那珂川の現人神社は住吉の元宮であり、同神なのだ。
香春峰により繋がる饒速日命=高良神
(クリックしてください)
ツヌガアラシトのアラシトは、「儺の國の星」の中東から来た民族「安羅人」を意味しているのかもしれない。
彼らの先祖はそちらから来たと。
同神であるスサノオ命と五十猛命は、韓国のソシモリから来たともされる。
では、彼は韓国から来たのか、近東、中東から来たのか。
もしかすると、それらは「遠い場所」を意味しているのかもしれない。
彼は饒速日命。
天鳥船でやって来た神。
唯一つ確かなのは、「渡来神」であることだ。
それが彼が「皇祖神」とされなかった理由の一つかもしれない。
(つづく )
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小分けなので分かりやすいかもです
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