今回は、奈良から離れて福岡へ。

前回の宗我坐宗我都比古神社の蘇我石川宿禰は、香椎宮の摂社の神でもあった。

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★目次

☆1 香椎宮の印鑰神社

☆2 二つの社の共通点

 

  香椎宮の印鑰神社

蘇我石川宿禰は、香椎宮の摂社の印鑰神社に祀られていた。

 

印鑰(いんやく)とは印と鍵のこと。

 

香椎宮
 
境内を出て、細い道を入って行く。
Google先生を見ていても一度迷った。
 

印鑰神社

 

祭神 蘇我石川宿禰

 

 
前回の宗我坐宗我都比古神社の祭神、宗我都比古は蘇我石川宿禰。
 
蘇我氏の始祖は、武内宿禰であり、高良神。
始祖が「祖神」になる。
かの社の祭神は、彼と神功皇后だ。
 
 
そして、この香椎宮の摂社に蘇我石川宿禰。
 
彼はやはり高良神(武内宿禰)自身であろう。
この宮には、仲哀天皇と神功皇后、武内宿禰が祀られている。
 
直接関係ないものは祀られないのだ。
 

 
香椎宮の境内の武内宿禰と応神天皇の像。
(しかし、応神天皇も彼自身)
 

 

  二つの社の社の共通点

 

香椎宮と宗我坐宗我都比古神社。

同じ蘇我石川宿禰が祀られていた。

 

この二つの社の共通点はもう一つある。

記紀編纂の時代に当たる。

 

ではこのようなことが推測される。
 
☆この時代にそれぞれの一族が、彼らを別の名として祀った。
 
武内宿禰は高良神であり、饒速日命。
蘇我氏、紀氏、平群氏などは武内宿禰(と神功皇后)として。
物部氏は、饒速日命と御炊屋姫として。
 
 
ではその頃にはすでに、九州において、彼らの「神としての位置」は確立されていたのだ。
 
「高良玉垂宮神秘書」にはこのようにある。
 

高良大社は日本第二の御社。

仁徳天皇の時、高良大社は九州の宗廟であった。

聖武天皇の時に宇佐神宮が創建され、宗廟を譲った。

 

聖武天皇は記紀が編纂された後の時代。
記紀に応じて、宇佐神宮が創建されたのではないだろうか。
 
 
この話、後に書きます。
 

 

  高良大社の印鑰神社

 

高良大社の摂社の印鑰神社には、武内宿禰が祀られている。

 

高良大社

 

大社の裏にあるのが、印鑰神社。
 

印鑰神社*武内宿禰

 

高良神は武内宿禰。

 

配祀神、摂社の神はほとんどが同神なのである。

 

蘇我の祖神が彼であり、同名の社に祀られるのだから、石川宿禰もまた武内宿禰だ。

 

しかも、香椎宮と高良大社。

彼を祭神とする社。

 

香椎宮の「仲哀天皇」は存在しない者であり、彼の伝承の一部でもあった。

 

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奈良に武内宿禰が祀られていた。

彼は高良神であり、蘇我氏、平群氏、紀氏など、様々な一族の祖神であったのだ。

 

ゆえに、蘇我の地から、彼らに繋がる。

 

 

( つづく )

 

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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。

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