逆賊のように伝わっている蘇我氏。
最近の研究では、実はそうでは無かったと解明されてきている。
蘇我一族がいたとされる曽我町には、入鹿神社と宗我坐宗我都比古神社があった。
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★目次
☆1 宗我坐宗我都比古神社
☆2 蘇我氏の祖神と入鹿神社
宗我坐宗我都比古神社
奈良県橿原市曽我町
祭神は、宗我都比古神(蘇我石川宿禰) 宗我都比売神
その名は、曽我(そが)におられる宗我都比古神という意味になる。
蘇我氏が祀った、彼らの祖神だ。
「五郡神社記」には、武内宿禰と石川宿禰が祭神。
推古天皇の御代に石川宿禰の五世孫の蘇我馬子が神殿を造営したとある。
上記の通りならば、祭神の宗我都比古神と蘇我石川宿禰は別人。
しかし、神社庁では、同じ人物であるかのような表記になっている。
(以下、奈良県神社庁のHPより引用)
祭神 宗我都比古神(蘇我石川宿禰) 宗我都比売神
当神社の所在地域の曽我は蘇我と記し、8代孝元天皇の御子彦太忍信命の孫にあたる竹内宿禰の第三子石川宿禰が、蘇我の大家を賜って、大阪河内から移り住み、姓を蘇我と名乗ったという。33代推古天皇の御代になって蘇我石川宿禰五世馬子宿禰が、この地に社殿を造営して、始祖夫妻をお祀りしたと伝えられ、およそ1400年余年前で、当神社の起源とされる。蘇我氏の始祖を祀る神社は古くから地元曽我の人達から「曽我ンさん」と呼ばれて広く親しまれている。
蘇我氏の祖神と入鹿神社
武内宿禰は、蘇我氏の始祖である。
彼は筑後国一之宮の高良大社の高良神。
始祖は「神」であったのだ。
★子孫は祖神を祀る。
祭神、宗我都比古神。
武内宿禰と共に祀られたという。
しかし彼の名はない。
神社庁では、石川宿禰と同神。
その者は武内宿禰の子とされている。
では、彼と同神かもしれない。
配祀、摂社の神はほぼ同神であるのだ。
子孫ならば、彼の子に繋がっているはず。
石川宿禰がそれならば、彼を通して祖神である武内宿禰を祀っていることになるだろう。
つまり、一緒くたになっているということ。
この石川宿禰、福岡の香椎宮にも祀られていた。
これは次の回にて。
その地域には、蘇我氏の社がもう一つあった。
★入鹿神社
祭神 蘇我入鹿、素戔嗚尊
素戔嗚命は、後の世に合祀されたという。
蘇我入鹿が逆賊だからという理由で。
それは汚名であったと、解明されてきている。
*祭神
素戔嗚命は、高良神であった。
高良大社の下宮は、祇園さんと呼ばれている。
摂社に素戔嗚命も祀られているが、違うならば主祭神を差し置いて呼ばれない。
高良大社*下社(祇園さん)
祇園神は、牛頭天王であり、ツヌガアラシト=天日槍(あまのひぼこ)
「高良玉垂宮神秘書」に記載の高良峰(香春岳)から、饒速日命に繋がっている。
彼が追って来たという「ヒメコソ神」が祀られた社の神は、饒速日命、御炊屋姫(市杵島姫命)。
*高良峰*関係図
合祀の素戔嗚命は、祖神の武内宿禰=高良神=饒速日命。
彼もまた、真実を隠された神であった。
まったく関係のない神が配祀されることは無い。
それは近年でも、真実は伝わっていることになる。
武内宿禰である高良神の后は神功皇后。
彼女は饒速日命の后の御炊屋姫。
では、宗我坐宗我都比古と共に祀られる宗我坐宗我都比売は、彼女なのだ。
社と蘇我氏は、件のTさん情報です!
感謝します!
( つづく )
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