天智天皇は長州宮におられた。

そこは那珂川であり、彼は脊振の葵祭を加茂に移された。

☆1 葵祭のはじめ

☆2 葵祭の神

 

  葵祭のはじめ

 

「儺の国の星」真鍋大覚氏 著書(加茂の星の項)より参考

 

京都に葵祭を遷したのは、天智天皇という。

 

彼は、筑紫の長州宮におられた。

そこからは脊振の山頂が見られた。

大和に帰還後、脊振の葵祭を、山城の加茂の社に遷した。

 

 

彼がおられた筑紫の長州宮とは福岡県那珂川市にある。

上梶原という、今は小中学校になっている場所だ。

 

地図はGooglemap

 

上梶原。

ここからは手前に成竹山があるので、奥の脊振は見えない。

その祭りは脊振山頂であったものか、彼がおられた那珂川であったものか。

 

少なくとも、葵祭とは、脊振の神の為の祭りであった。

 

 

  脊振の神

 

脊振は、神話の久士布流多気。

 

櫛布留岳を意味し、祀られている「降った二龍」とは、饒速日命と御炊屋姫。

彼らは高良神であり、神功皇后になる。

 

脊振山頂の「毘沙門天と弁財天」は、彼らに繋がる。

 

脊振山頂*脊振神社上宮

 

毘沙門天は、高良神=饒速日命。

弁財天は、市杵島姫命=御炊屋姫。

彼女が高良神の后の神功皇后。

 

ここは神功皇后が市杵島姫命を祀ったとされるが、同神なのである。

 

 

祭は神の為のもの。

 

では、葵祭の神は彼らと言うことになる。

 

 

( つづく )

 

 

分かりやすくなるように、改訂しました~

 

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