続きです。

  

 

 

前回の媛社神社の伝承に書かれてあった、もう一つのひめこそ神社。

 

「姫古曽神社」

佐賀県鳥栖市姫方町にある。


「媛社神社」からほぼ西へ、4キロ。
ここも川の側にあった。 

 

 

ほんの少し小高い地点。

 

この「姫古曽神社」から、幡が前回の「媛社神社」へと飛んだ。

二つの社は同神を意味している。
(幡が4キロも飛ばない。暗喩に違いないのだ)

 

扁額には姫古曽神社。

 

拝殿。

 

 

境内の由緒書から

御祭神は、市杵島姫
     八幡大神、住吉大神、
     高良大神、菅原道真 

☆1 当社の原初祭神は、織女姫 (たなばた姫)であった。
 このいわれは「肥前国風土記」姫神郷の段に詳しい。


☆2  時移りて弘仁二年(811)時の村長某が豊国宇佐八幡宮の分霊をここ姫方の地に勧請、先づ徳丸というところに行宮を建てて祀り、のち現霊地に社殿を建立して奉還、住吉大神、高良大神を合祀して八幡宮と稱(称)し、姫方村の氏神とした。

(中略)

☆3 この八幡宮勧請以後、本来の主神である織女神は疎外されていたが、明治の御一新に当たり村人は相はからって近くの「たなばた屋敷」におわした織女神を市杵島姫命の神名をもって主神の座に復し奉り、社名を姫古曽神社と改めた。

以後、たなばた祭が執り行われるに至った。

 

 

ここでも幾つものことに繋がる。

 

☆1 元々祀られていたのは、織女神。

前回の媛社(ひめこそ)神社の神と同じ。

 

<いわれは「肥前国風土記」にある>とは、そこに記されていた由緒を示す。

 

姫古曽の地で幡を飛ばすと媛社(ひめこそ)の地に落ちた(次回、詳細)

 

☆二つの社は同神だと示唆するもの。

 

☆神秘書にあった高良神の伝承の「旗」でもある。

⇒酷似の伝承は神の由緒を示す。
 

 

ゆえに「幡が飛んだ地」が示すものは、高良神の所在地。

=祭神が高良神であることを暗喩。

 

よって、二社のヒメコソ社の神と高良大社の神は同神となる。

 

☆媛社神社の祭神

磐舩神(いわふねかみ)棚織神(たなばたかみ)

饒速日命御炊屋姫(みかしやひめ)

 

☆姫古曽神社

市杵島姫

八幡大神、住吉大神、高良大神、菅原道真。


☆高良大社

高良神と合祀の豊姫

后以外共に祀らないので、神秘書の神功皇后

 

 

☆2 後に宇佐神宮から神を勧請。

住吉大神、高良大神を合祀して八幡宮とした。

 

配祀の神は皆、同神(後の功績などにより祀られた者を除く)。
 

☆宇佐神宮

神功皇后が宗像神=市杵島姫命と共に祀られている。

 

市杵島姫命=弁財天と呼ばれている者は唯一、

饒速日命の后の御炊屋姫。

 

彼女が宗像神。

 

高良神は住吉神であり、饒速日命であった。

彼女はその后になる。

 

よって、後に合祀された三神は、彼らと同神。

☆1と同じ。

 

 

< 瀬織津姫 >

 

☆3 織女神を市杵島姫命の神名で祀り、姫古曽神社と改めた。

ここで重大な記述。

 

織女神は市杵島姫命。

それが姫古曽神(ひめこそかみ)だという。

 

では、ヒメコソ神が市杵島姫命なのだ。

それが織女姫。

媛社神社の女神は、御炊屋姫であった。

配祀の磐舩神が饒速日命なのだから、その后。

 

姫古曽神社から、それが宇佐神宮の市杵島姫命と同神と分かる。

 

さらに、ヒメコソ神は、現人神社から「ツヌガアラシト神が追って来た女神」。

香春岳は高良神と神功皇后が祀られているので、彼女は神功皇后となる。

 

よって、ヒメコソ神=神功皇后=織女神=市杵島姫命。

織女神=瀬織津姫は、内宮の女神天照であった。

饒速日の后、御炊屋姫が瀬織津姫。

 

神功皇后が瀬織津姫ということだ。

 

 

 

その名は「祓いの神」として、住吉神の名と共にある。

彼らの異類退治が由縁なのだから。

 

だから、社の伝承を繋げると、彼らに繋がる。

 

 

 

末端の小さな社の記述。

しかし、それさえも真実に繋がるのだ。

 

しかも、ここのそれは明治時代の話。

いつの時代まで、人は真実を手にしていたのだろう。

 

 

 

境内は広く、三角点まであった。

 


< 姫古曽神社の地 >

 

下の図の2がこの「姫古曽神社」

1が、前回の「媛社神社(七夕神社)」



(地図はGoogle map)

 

 

前回も書いたように、肥前風土記には、

2のこの地に「荒ぶる神」がいて、旅人が何人も殺されたとあった。

 

しかし、ここへ立てば分かるが、そんな怖い存在がいるのなら迂回すればいいだけの話。

「それ」は、この地の話ではないと分かる。

 

数字のある地点は、神功皇后の伝承がある神社。

 

上の地図の*8は、御原。

「儺の国の星」にあった、「中洲」であった土地になる。

 

(地図はGoogle map)

 

上の地図は俯瞰。

8が「姫古曽神社」

7が「媛社神社(七夕神社)」

 

当時は玄界灘と有明海が繋がり、この辺り一帯も海の水が流れ込んでいた。

 

 

しかし、神功皇后の伝承地、及び高良玉垂宮神秘書の記述がある土地は、陸地であった。

二つの神社の土地も、このような地にある。

 

悪神から逃げ場がないという土地ではない。

それは神の由緒(正体)を示すもの。

 

 

 

( つづく )

 

 

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