宝満宮竈門神社。
「神の宮」は山の上にある。
それが宝満山。
竈門神社の御祭神、神功皇后の伝承地であり、彼女が登拝していた。
標高829mながら、標高差740mほど。
しかも正面道はほとんど石段で、かなりの急登。
北アなどに行く方がトレーニングに来るほどのお山。
標準時間は2時間弱くらい。
ここを登れたら日本中の山に登れるよ!と宝満山をこよなく愛する常連の方々。
まぁ、ダブルでいけたら、他のとこでも行けるかな。
と、やっぱりうちも宝満Loveの一人。
多い時は週2で登っていた。
途中からは四王寺山が見える。
神功皇后と住吉の神の出会いの場所と高良玉垂宮神秘書にある。(伝承上の話)
百段ガンギ。
一番苦しい所。
手前の椿は誰かが置いたもの。
こういうとこも好き。
九州で一番登山者が多いお山で、そのほとんどが何度も登りに来る。
西谷院跡。
上の写真はその跡に建てようとしたホテル跡。
豪雨の中のホテル跡。
雨の日のお山は神秘的。
このお山だけは、爆風、豪雨でも誰かに会う。
で、お互い、「誰もいないと思った!」と笑う。
雨の日は石段なので滑りやすいが、外側に斜めってない岩を踏まないようにするのがコツです。
(当たり前だけど、意識するとしないでは違う)
閼伽の井の石仏さん。
宝満山での神事ではここの井戸の水が使われた。
ここまで来たらもう少しで中宮。
明治の廃仏毀釈の折りに破壊され、今は石碑のみ。
それを少し過ぎて、女道との分岐の手前、左手にある岩が「梵字岩」
気づかない人が多い。
この案内板が見えたら、右手の斜面を少し下る。
益影の井。
神功皇后が応神天皇を出産した折の、産湯に使われたという伝承があった。
9合目の標識が見えたら、左手の崖を上がると、竈岩(かまどいわ)。
三つの大岩があり、神功皇后の出産の時、産湯をここで沸かしたという伝承が。
宝満山の別名の竃山は、ここの伝承と、山体の形容から。
伝承がここは神功皇后のお山なんだよと主張している。
馬蹄石。
玉依姫の伝承があった。
彼女を乗せた神馬が付けたという蹄の跡があるそうだ。
宝満山は神功皇后のお山。
現れた玉依姫も神功皇后。
住吉神である高良大社にも「馬蹄石」があり、やはり彼を乗せた神馬がつけた蹄の跡があった。
上宮。
毎月15日ころ、月次祭の神事がある。(天候などで日にちが変わることも)
この日は偶然見られた。
いつもは扉閉まっている。
居合わせた方々と神事に参加。
これを楽しみに合わせて来る方もおられる。
神官さん下から荷物を担いで、山荘で着替えてこられている。
この日は女道へ向かわれる神官さんを偶然発見。
上宮の後ろから、東の方向。
真ん中に見えるのが大根地山(おおねちやま)、その右横が砥上岳(とかみたけ)。
前に、四王寺山~宝満山~三郡~大根地山~砥上岳まで縦走した。
(朝焼けの中の大根地山)
大根地山も砥上岳も、神功皇后が登ったお山。
大根地山には熊襲を鎮める為、彼女が招いた神々が祀られている。
大いなる根(ネは、古語で神)の地の山。
高良神(筑紫神)、甕依姫、神功皇后の伝承が重なる冷水峠は山の向こう。
南西方向。
遠く有明海の向こうに雲仙が見える。
ここまではっきり見える日はなかなか無い。
彼女のいた時代、あの間まで海が広がっていたはず。
宝満山山頂標識。
岩の下にあるのが最近植えられた「サイカチ(再会)の木」
神功皇后が、三韓征伐の前に山頂に植えられ、再会を誓ったとされる。
(そのものはないです)
故に、竈門神社は「御縁の社」。
彼女の伝承が由来なのだ。
神話では、三韓征伐の前は身重だった彼女。
そんなはずはあり得ない。
身重でこのお山には登れないのだ。
あまりにもハードすぎる!
後ろの岩が礼拝石。
横から見ると手を合わせてるみたい。
今までで一番、朝焼けに染まった礼拝石。
北方向。
真ん中辺りに見えるのが、若杉山。
宝満山から若杉山まで縦走(山を繋ぐ)するのが「三郡縦走」
17キロ程、だいたい7時間くらい。
若杉山と宝満山、縦走して分かった。
山を繋ぐということは、祈りを繋ぐ、神を繋ぐことでもあるのだ。
そんなこと知ってても知らなくても、山を繋ぐ人がある限り、人と祈りと神は繋がれる。
山の上にこそ、神はおられるのだから。
だから、彼女は福岡中のお山に登ったのでだ。
夕焼けの中の上宮。
この時間だけにある清浄な気。
ゆったり上宮と共に過ごすひととき。
この時間にいたいなら、山荘に泊まるかテン泊するか、ヘッデンの明かりの中、真っ暗な登山道を下山するしかない。
この世にこれ以上、素晴らしいものがあるだろうか。
と毎回思う。
西、博多湾方向。
水平線に薄く伸びてるのが「壱岐」。
晴れてるから遠くまで見えるというわけでもない。
山頂から見えたある日の雲海。
飯塚方面(北東側)。
50回以上登って、雲海が見えたのは2度ほど。
山頂から鎖道を下ると、楞伽院山荘(りょうがいんさんそう)。
竈門神社の上宮の社務所を兼ねている。
キャンプセンターから名前が変更。
この場所には廃仏毀釈前に、修験道の座主さまの庵があり、その庵の名だそうだ。
昨今のキャンプブームで一般の人から「泊まれるのか」と、竈門神社に問い合わせがたくさんあって困ったからとのこと。
名付けは竈門神社。
今はここで泊まれ、前の広場でテン泊できる(これは次に。まだ引っ張る)。
女道の方へ。
女道までの分岐まで、宿坊跡がたくさんある。
この石垣の上もその一つ。
この日も大雨。
愛敬の岩。
竈門神社にあるものと同じ。
「六所宝塔跡」
林道(車道)の途中にあった(一の鳥居手前まで車で来れるが、駐車できるのは3台ほど)
ほぼ毎回、宝満山に登った時は、ここでご法楽させて頂いている。
正面に見えるのが宝満山。
全国に六ヶ所しかなく、今は比叡山にしかないとのこと。
ずっと宝満山のどこにあるかと探してて、偶然見つけた時は嬉しかった。(怪我の功名でした。ほんとに怪我して偶然見つけた)
沙弥証覚さんが元の宝塔を創建されたのだが、自分がネットで使ってる名が「弥沙(みさ)」なので、御縁を感じていた。
宝満山推しなので!
宝満山はキツイ。とにかくキツイ。
なのに、何度も登ってる方が多い。
8千回登ってる方、
80歳越えてる人、
3歳に満たない子、
赤ちゃんをおんぶして登ってる人!
北アや歩荷のトレーニング
テン泊する人、
三郡縦走の人
身軽な格好でトレランしてる人、
外国の方
初めて来る人
朝駆けする人
色んな人が来て、色んな人を受け入れる余裕が人にも山にもある。
朝駆けで見たご来光。(元旦ではない)
おお~っという歓声が周りであがる瞬間。
「ええもん見せてもらったわ~。この一日を見たい為に、毎日登るんだよ」
と近くにいた方。
そや。
雨の日でも曇ってても、爆風でも。
見えないと分かっていても。
登って、登って。
何度も登り続ける人だけが得られるもの。
それがここにはあるのだ。
お山にはルールがある。
挨拶をすること、声を掛け合うこと。
登りの人優先(場合による)
それがお互いの安全を守ることに繋がる。
お山では、相手への思いやりが必要だ。
同じ山に、しかもこんなキツイ山に登ってる同士。
その唯一の繋がりで、人はこんなに近くなれる。
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登る度に、人を好きになれるお山です。
今では随分、顔見知りができました。
「また会ったね!」と声かけてくれる。
下界のすべての殻を脱ぎ捨て、この山が好きと言う絆で出会う人達。
それがとても心地よくて。
ここではみな、神に近い存在になるのかもしれない。
空に近い場所は神がおられる。
そこは自分の中の神に逢える場所なのかも。
ここは彼女のお山。
彼女を知らなかったら、登ってなかった。
宝満山に関わる全ての人に、ありがとう。
(追記)
英彦山、1ヶ月伸びて、8月から禁止になったそうです。
今日聞きました!
もう1回行きたいなー!
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