神功皇后と饒速日命。
彼らの偉業が「潮干球、潮満珠」の力の一つとして、伝わっている。
大和の奈良湖の水を引いた「大和川川床開削」と、福岡那珂川の「裂田溝(さくたのうなで)」として。
★目次
☆1 古代奈良湖
☆2 亀の瀬の山体崩壊
☆3 明日香の亀石
古代、奈良湖
古代、奈良には巨大な湖があった。
それが通称、奈良湖。
これは、AD200年前後までとみている。
(これは後に)
倭国騒乱
御炊屋姫と夫婦になる。
濃い青の地点まで水を引かせる。(下と順番は不明)
奈良盆地を開拓。
亀の瀬の山体崩壊
彼らは湖の水を引いた。
その辺りは、地滑りがしやすい土地だった。
山体崩壊によって、川がせき止められてしまったのだ。
件のサイトによると奈良湖の推定水面標高は45m。
2000年前からあった唐古遺跡は、一度水に沈んでいるそう。
この辺りの標高を「標高が分かるweb」で調べてみた。
唐古遺跡は49m
その1.5キロ西の石見駅で45m
☆増水前の奈良湖は、図1の2番目に濃い青の範囲
耳成山の側が湖の端、ここで50mほど
増水で推定50mまで上がったと思われる
(上の図に50mとありましたね)
誰かが抜かなければ引かないのだ
山体崩壊から亀石へ
山体崩壊について、以下のサイトからの引用。
1回目の溶岩や積した地層の上に2回目の噴火に伴う溶岩がのっています。
その溶岩の境目が非常に脆く、水分を含むと上の溶岩が滑り台のように滑ってしまいます。
亀の瀬には昔から亀岩と呼ばれる巨石があり、この亀石が動くと、地すべりが起こって大和川がふさがれ、大和に洪水が起こるという伝承があります。
そこは何度も地滑りを起こす地帯であり、その度に、大和に洪水が起きていたのだ。
「亀石が動くと、大和に洪水が起きる」という伝承、実際は反対になる。
うちも小さい時に、そこへ行く度に何度も聞かされた。
「明日香の亀石」だ。
明日香の亀石
あの石が西を向くと奈良盆地が沼地になるのだ。
Wikipedia「亀石」でその伝承を詳しく。
奈良盆地一体が湖であった頃、対岸の当麻のヘビと川原のなまずの争いの結果前者が勝ち、水を吸い取られた結果、干上がってしまい、湖のカメはみんな死んでしまった。
これをあわれに思った村人たちは、「亀石」を造って供養したという。
亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。
そして、現在は南西を向いているが、当麻の方向の西を向いた時、奈良盆地は一円泥の海と化すと伝えられている。
実際に亀の瀬地滑り地区の調査で、古代には地滑りで大和川がせき止められ、亀の瀬のかなり上流まで湖状になっていたことがある。