続きです。

 

うちの母方の家系は、夢で孫に霊能力を授けていた。


ある日、母から聞いた。

「あんたもいずれ、見るから」と。
 

ずっと昔から「霊能力者」の家系であったこと。
祖母が亡くなる時に、必ず、孫の「誰か」の所に夢で出ること。
そこで「一緒に行くか、この世に残るか」を聞いてくること。
「この世に残る」と答えたら、
「この世で生きる為の力をあげよう」と言われて、目覚めた時に霊能力を授かること。
それがいつの頃からかは分からないが、今まで例外はなかったよう。


祖母にはかなりの霊能力があったとこの時に聞いた。

たくさんの人を助けていたと。


また、母はよく「視て」いたようだった。
自己流でお祓いもしていたようだが、それを仕事にはしていなかった。


                            *
 

その何年後に、祖母が亡くなった時、母の夢に現れた。

長い階段に大きな荷物を抱えて座っていた祖母。
「一緒に来るかい?」と聞いてきたそう。

「行かないよ。気を付けてね」と、母は言ったと。

すると、

「生きていくための力をあげよう」

そう、お決まりのように言ったそう。

なんでこっちに出たんだろうね、と母は言っていた。

出るならば、娘の私(祖母の孫)の方に出るのではと思っていたそう。

素質がありそうだから、と。

                               *            

 

福岡に来て、しばらくしてから、あの「神の山の夢」を思い出した。


強い霊能力者だったという祖母。
夢が一族にとって、力を継ぐという特別な役割を果たす場所であること。


何よりあの夢の中で見た山の存在感。

<神様である山>

あの夢は、やはりただの夢じゃなかったんだ。

祖母に夢のことを聞いておけばよかった。
何度も思った。
 

                  *

 

それから、ずっと後になってからのこと。

私との「結びつき」から、奈良を思い出した時に重なった。

 

祖母に手を引かれて歩いた、あの金色の草原を。
淡く紫色に染まった、美しいお山を。

 

あれは、三輪山だったのか、と。

私は前にも「そこ」へ行っている、と。
今ではない、いつか。

 

                    *

後に祖母の家があった場所に行ってみた。
もちろん「木の塀」はなく、家が立ち並んでいた。

だが、その奥、ずっと先に気になるお山があった。
あの山が繋いでくれたのか。
そう、明確に分かった。


山によく登るようになった頃、登った。
「金比羅山」。

標高196mと小山だが、麓と山頂に祠がある。

 

 
そこより、手前(祖母の家に向かって)には、大分(だいぶ)八幡宮があった。

御祭神は、神功皇后、応神天皇、玉依姫。
筥崎宮の元宮。
このお山とお宮は「セット」だ。
後に書くかもしれない。
 

 
そこは福岡県飯塚市。
”飯塚”・・・その地名は、神功皇后に由来すると言われている。

三韓征伐から帰った後、一緒に戦った方々とここで解散し、言われた。
「いつか、また会おう」

その”いつか”が訛って、”飯塚”となったと。

ここでも神功皇后・・・。
よほど、縁があるのだろう。


ココログでこれを書いた時、まだ半信半疑だったのだ。
伝承も必然も、まだ始まったばかりだった。