ARIONの数々の言葉の中にこんなのがある。

 

三四五の封印は、日向の手によってかけられたのだから、
 日向の手によってしか、解くことができない。

 

  日向の血を受け継いだ者が、この本を読み三四五の封印の智慧を得たら、
 四の辺上にあるたった一つのポイントに気づき、自らそこへ行くだろう

 

友人はその三四五の封印が、ヤマトの名の由来の一つ「矢の的」の語源になった経緯をブログに載せた。

 

最初の頃の天皇の御陵の場所、それが「矢の的」の語源。

 

奈良には大和三山がある。
畝傍山、天香久山、耳成山。
この三山を線で結んだその先に三輪山があった。

 

(地図はGoogle Mapより引用)

 

 

その三輪山は大神神社の御神体。
それがニギハヤヒの御陵だと。

 

ニギハヤヒは、最初の王であった為、大和三山が結ぶ先の三輪山に埋葬されたのだということだった。
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その次の王である(歴史書では最初の王)神武天皇陵。

 

その三輪山とミカシヤ姫が祀られている櫛玉比女神社を結んだ線の真ん中を交差する線の先に神武天皇陵があった。

 

その線を延ばした三角形になる頂点、その辺りにあったのが「三島神社」。

 

 

(地図はGoogle Mapより引用)

 

 

友人がそうして導きだした「三島神社」。

 


三島神社はもともと、今の天理教の”おぢば”の場所にあった。
天理教の教祖である中山みきは、そこで天啓を受けたのだ。

後に天理教本部を建てる為、三島神社は今の場所に移された。

(三島神社とおぢばすぐ側なのでどちらの場所でもあるのかも)
 

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ちょうどそんな時、(2014年11月22日に)石上神宮で「鎮魂祭」(たまふり神事)があると知った。

 

つづく