奈良の旅、二日目。

 

天理教の教会本部へ。

私はどこの宗教にも入っていない。
でもこの天理教教会本部は、奈良にいた小学生の頃、一度だけ施設内に入ったことがあった。

多分、春の花祭りの時。

親に連れられ中に入って、甘茶をいただいたような記憶がある。
(親も信徒ではありません)

その時、尼さん(?)がいらして、すごくいい笑顔をされていたことを今でも覚えている。

                 *

天理教教会本部は、もちろん奈良県「天理市」にある。
天理市は、私から見ると宗教都市。

あちこちに天理教の施設があり、学校や公共施設まで”天理教”を思い起こさせる形あ。

町のあちこちに「おかえりなさい。おぢばへ」の垂れ幕。
一般人の私は、かなり”引く”。

いざ、教会本部へ。

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”おぢば”

教祖である”中山みき氏”が天からの”甘露”を感じた(神に会った)というその場所。

そこに一般人も自由に入れる。

まるで大仏殿のような大きさの建物に圧倒された。
靴を脱ぎ、階段を上がり中へ。

何百はあろうかという畳が敷き詰められていた。

そこには、同じ法被を着た信徒の方々が、思い思いの場所に座っていた。

鳴り響く歌声。
祈りの声。

その中央に巨大な柱が、大きく開けた穴の底からそびえていた。

それが巨大な建物の中ほどの高さまであって、その上に5角形か6角形の台がすえられている。


それが”甘露台”
 

畳の上に座って息を整えると、祈りの声が体の中でこだました。

次第に声が増えていき、体の中を駆け巡っている様な気分になった。
 

その柱の周り・・・。

きらきらと金の光。

光が降り注いでいいく。
空から?底から?

 

多分、これが”甘露”

 

そういえば、これをどこかで感じたなと思い起こせば、7月に行った”桜井神社”の岩戸開きの神事の時。

空と地面から溢れ出してくる光のエネルギーに包まれた。
あれと似てる。この”感じ”

地球から溢れ出すエネルギーと宇宙から降り注ぐエネルギーが常に繋がる場所。
それが”おぢば”なのかもしれない。

これは、すごい。


信徒の祈りの声がもっと響いてきた。

目の前の光の流れと、人の祈り。

ここにもっといたい。
この輪の中に入りたい。

ふらっと一瞬でも思ってしまった。
それほどのものが、ここにはある。


ここで、子供が走りまわっていたり、はしゃいで大声を出していた。
でも、誰も咎めることなく、みんな粛々と祈っている。

その時、声が頭の中に響いてきた。


<<そのままに>>


子供ははしゃぐもの(この場所なら、尚更)
子供は泣くもの。

そのままでいいのだ。
咎めることなく、受け入れる。


後で色んな意味があると分かるのだが、
この時は、そう、受け取った。
 

                   *

 

<<なかやま みき>>

前にブログに書きましたが、以前、石上神宮に行った後、駅まで行く途中にこの教会前を通った時、
その言葉(名前)が聞こえた。

 

 ”なかやまみき?
  誰だっけ?
  ああ、中山みき、天理教の教祖だ”

何故、その時聞こえたのか分からないが、その時からずっと気になっていた。


今回、来られてよかった。
”その時”どこにいても”この感じ”受け取れるような気がした。

 

こんな、天理教にとっての一番大事であるはずの場所。
こんなにも一般に自由に開放されてるなんて、頭が下がる。

階段を上がる時にいた天理教の法被を着ていた高校生くらいの男の子、皆さんに挨拶をして、丁寧に靴を揃えられていた。
とても礼儀正しくて、愛想良くて好感を持てた。

どうか、望まない環境にさらされることのなきよう、
叔母さん(信徒です)の家に掲げられていた、”喜びの日々”を、心から過ごしていけますように。

                *
 

この教会のある場所は、天理市三島町。
この”おぢば”の場所。

もとは神社があった。
”三島神社”だ。


(2014年11月27日   銀の月 金の星
 

( 続く )