続きです。
二日目の夜のこと。
不思議なことがあった。
三輪山へ登り、聖林寺へ行き、饒速日命をモデルと言われる十一面観音様にお会いした夜。
*
ここしばらく、左膝が痛い。
昼間は痛くなかったのに。
次の日は山の辺の道を、縦走ザックで歩く予定。
大神神社から石上神宮まで20キロ近く。
どうしても”繋げたい”。
明日、行けるかな。
でも、歩く以外考えてないしな。
山じゃないし、なんとかなるだろう。
そんなことを思いながら、横になった。
寝つきは恐ろしくいいので、すぐに熟睡。
*
(その時の自分の感情、思い、感じたことを隠さず記します)
ん?
違和感を感じて、意識がはっきりとした。
目は開けていない。
部屋の中の空気が違う。
ピンと張り詰めたような。
それが「これから起こる」ことの前触れに感じて、一瞬身構えた。
と、ふわっと何か大きなものが、体に覆いかぶさった。
手?
大きな手。
温かく大きな手。
私の体全体を覆う程の。
感情がたくさん流れ込んできた。
<愛しい、懐かしい>
これは三輪山の神か。
この気配。
やっぱり、リュウじゃないか。
気配の元は、三輪山から流れてきてるよう。
「前世の彼」が例え饒速日命と後世で言われる人であっても、彼と「神」とは別のもの。
神は人にはならない。
・・・でも、もしかすると「カケラ」くらいはあるのかもしれない。
そう思うには充分だった。
今までだって(住んでた時期あるし)、何度も来てたのに何故、今?
・・・そうか、時期という物があるのか。
一瞬で、色んな思いが頭の中を駆け巡り、後はじっとしていた。
大きな手は、頭をなでなでした後、左膝を優しくさすってくれた。
そこが温かくなっていき、痛みが引いていく。
痛いとこ治してくれてる。
そういや、レイキ自分にはしなかったなぁ。
”三輪山の神の手”は、長いことそうしてくれた。
・・・"その手”は、確かに私を励ましてくれていた。
しょうがないな、もうちょっと頑張るよ。
〇〇(自分の名前)があなたの名で良かったよ。
この名じゃなかったら、とっくに放り出してたよ。
偶然じゃありえないと思い知らされる。
”これ”は自分が選んだ道だ。
そうしたかったんだと思える。
”これ” は "私の願い” だ。
もう少し頑張るよ。
次の世でも逢ってよね。
ありがとう。
大きな手は、最後にほおを撫でてから、来た時と同じように、ふわっといなくなった。
その後も、同じ気配が三輪山から流れてきていた。
この神の”気配”瞑想の中で見た「現人神社」の”彼”と同じだった。
( つづく )